壺齋散人の 映画探検
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ミケランジェロ・アントニオーニ「夜」:夫婦の倦怠



アントニオーニの「愛の不毛三部作」の第一作「情事」は、フェリーニの「甘い生活」とほぼ同時に公開されたので、色々と比較された。テーマも雰囲気も非常に似通っていたからだが、両者の間の影響関係は明らかではない。だがアントニオーニが翌年作った「夜(La notte)」には、フェリーニの影響を見て取ることができるのではないか。

「情事」がミステリー仕立ての恋愛映画だったのに対して、「夜」は夫婦の倦怠を描いたものだ。その夫婦の倦怠感溢れる生き方を、ブルジョワの糜爛した生き方を絡ませながら描いている。「甘い生活」とまるごと重なり合うような設定だ。しかも、一晩の出来事として描いている。その一晩に色々なことが起きた、というような設定になっている。

マルチェロ・マストロヤンニとジャンヌ・モローが倦怠期の夫婦を演じている。マストロヤンニは、「甘い生活」でも主人公のジャーナリストを演じていた。どちらの映画のマストロヤンニも好色な男を色気たっぷりに演じている。かれは、好色で知られるイタリア男を代表するような人間だといえよう。かれにはそういう役柄が非常に似合っている。二十世紀最高の好色漢役ではないか。

一方、ジャンヌ・モローのほうは、フランス人女優だが、この映画の中ではイタリア女を自然に演じている。イタリアは男女共に好色な民族性で、女性もセックスに貪欲である。この映画の中のジャンヌ・モローも、夫のマストロヤンニが浮気に現を抜かしているのを見て、自分にもアヴァンチュールを楽しむ権利があるといわんばかりに、別の男の誘いに乗って一発やる気になるのだった。ところがいざ、というときになって、なぜかやめてしまう。直前まで、快楽の期待に震えて、唇がにんまりするのを押さえられなかったほどなのにだ。相手の男が不足だったからだろう。もうちょっとましな男だったら、最後までいったはずだ、というふうに伝わってくるのである。

ジャンヌ・モローといえば、独特な歩き方がマリリン・モンローとよく比較されたものだ。モンローと同じように尻を左右に大きく振りながら歩く。だが姿勢はモンローより毅然としていて、淑女らしき雰囲気を漂わせている。その歩き方をモローは、1956年の映画「私刑台のエレベータ」の中で披露していたが、それと同じ歩き方をこの映画の中でも披露している。上半身をきりっと伸ばして顎をあげ、両手を振ってバランスをとりながら、尻を左右に振って男たちの注目を浴びるといったものだ。小生には「尻フェティシズム」の傾向はないが、モンローやモローの歩き方はなかなか魅力的に感じる。

これといったストーリー性はない。「情事」以上に淡白だ。倦怠期にある夫婦が、一日を共に過ごす。その一日の間に、夫のほうは二人の女を相手にセックスしようとするし、妻のほうは別の男からナンパされる。イタリア人にとって、結婚していることは、セックスへの制約にはならないのだ。誰でも気に入った異性がいれば、気軽にアタックする。相手が応じれば早速ベッドインするし、応じなければ別のチャンスを狙うというわけである。

この夫婦はなぜか、夜明けの空気に発情して、地面のうえでセックスする気になる。そんなかれらのもつれあったところを映し出しながら映画は終わるのである。不道徳というより、超道徳的な映画である。



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