壺齋散人の 映画探検
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ラスト・エンペラー:ベルナルド・ベルトルッチ



ベルナルド・ベルトルッチの1987年の映画「ラスト・エンペラー」は、清朝最後の皇帝愛新覚羅溥儀の生涯を描いた作品だ。1908年、西太后の指名により二歳にして即位し、1967年に63歳で死ぬまでの生きざまを描いている。即位以後のことを編年的に描くのではなく、1950年に共産政権によって投獄され、そこで尋問されるシーンを重ね合わせている。史実としては、溥儀は共産政権に一定の評価を受け、国務を分担して晩年を過ごしたのであるが、この映画では、溥儀は十年間投獄された後釈放され、市井に身を潜めて暮らしたというふうになっている。

イタリア人のベルトルッチが描いたのであるから、そこには欧米人としての、東洋的なものへの偏見も現われているようだ。中国人の描き方は、徹底的に侮蔑的なものであるし、その中国人を支配しようとしている日本人は、誇大妄想的な人間たちというふうに描かれている。東洋人を侮蔑的な目で見るという点では、ミュージカル「王様と私」という先例があるが、ベルトルッチのこの作品も同じような部類に含められる。この映画の場合には、その侮蔑の度合いは、もっと進んでいるといってよい。とくに、辮髪の男たちが、まだよちよち歩きの幼い皇帝の前にひれ伏して叩頭する場面などは、実際中国人自身がそのように振る舞っていたわけだから、割り引いてやらねばならぬにしても、やはり侮蔑的な視線を感じさせる。

日本人については、狡猾で尊大な種類の人間として描かれている。とくに、坂本龍一演じる甘粕は、満州国の黒幕のような存在として描かれているが、甘粕は満州映画のボスではあっても、政界までは操ってはいなかったはずだ。その甘粕が、日本の敗戦と満州国の崩壊を前にして拳銃自殺することになっているが、甘粕はたしか服毒自殺したはずだ。

溥儀は辛亥革命の後もしばらくは紫宸殿での生活を許された。正室と側室を迎えるのは、革命後のことである。その際溥儀はまだ十五歳だった。1924年、十七歳の時に北京政変という軍閥のクーデターがおこり、溥儀は紫宸殿から追放される。追放された溥儀は、天津に行って日本の庇護を求めるのだ。その後、日本とのかかわりは深くなり、日本が満州に傀儡国家を作ると、担ぎ出されて皇帝の座につくわけである。その辺は、歴史的な出来事が理解できるように作られている。

満州国の実質的な主人は日本人であって、溥儀は単なる傀儡に過ぎない。そのことを日本人は悪びずにいる。「日本人は世界で唯一神聖な民族であり、アジアを日本が支配するのは当然のことだ」というような言葉を、日本人に語らせてもいる。そんな日本人を正室はひどく憎むが、溥儀は傀儡としての自分の立場をわきまえるのだ。

その日本が負けると、当然満州国もなくなることとなり、溥儀の身には危険が迫る。溥儀は飛行機で日本に向かおうとするが、ソ連軍によって拘束されてしまう。その後、どのようにして過ごしたのか、それには触れず、国共内戦が終わった1950年に、溥儀は共産政権による犯罪の追求を受けるということになっている。

ラスト・シーンは、紅衛兵たちによる反動分子のつるし上げだ。つるし上げられている人物の一人に、かつて自分を尋問した刑務所の所長がいた。その所長に人間的な共感を持っていた溥儀は、かれの赦免を訴えるのだが、無論聞き取られるわけはない。溥儀はその直後に、失意のまま死んでいったということになっている。

二時間四〇分という長編だが、うまく作られていて、飽きるということはない。かならずしも傑作とはいえないが、中国史について多少の知識は得られるだろう。




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