壺齋散人の 映画探検
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ベルナルド・ベルトルッチ「シェルタリング・スカイ」:思慮のないアメリカ人たち



ベルナルド・ベルトルッチの1990年の映画「シェルタリング・スカイ」は、ニューヨークからアフリカにやって来た三人の男女の関わり合いを描いた作品だ。三人のうち男女二人は夫婦であり、残りの一人は妻の方を愛している青年だ。その青年は、若くてハンサムなので、妻はついつまみ食いのようにして、抱いてしまう。そんな妻の浮気心を気に入らない夫は、青年を追い払って妻と二人きりになろうとするが、アフリカの砂漠の真ん中で熱病で死んでしまい、妻は途方に暮れたあげくに、アラブ人の隊商に拾われ、その実力者の男の妾にされるというような筋書きの映画だ。

要するに、思慮のないアメリカ人たちが、自分を危険にさらしたうえに、塗炭の苦しみを味わされるというような内容で、どこにでもありそうな話だ。かれらが危険な目にあうのは、アフリカという土地を甘く見ていたからで、自業自得だという突き放した感情も伝わって来る。この映画に見どころがあるといえば、アフリカの厳しい自然を映し出していることと、ベルトルッチ流のセックス描写にあるといってよい。

主人公の夫が、売春婦を買ったはいいが、その仲間に袋叩きされるシーンは、アフリカのこわさを、西洋人の観光客向けに注意喚起しているつもりかもしれない。また、妻が隊商の実力者にセックスを迫られてうろたえるところは、納得ずくでなければ、隊商などとかかわってはいけないというメッセージだろう。この映画には、ヨーロッパ人から見たアラブ世界への侮蔑的な構えが伝わってくるのである。

その妻は、納得ずくで青年とセックスするのだが、それは夫が彼女を満足させてやらないからだ、というふうに伝わって来る。この夫は、彼女と二人きりになって、セックスの真似事のようなことはするのだが、彼女を性的に解放してやることはしないのだ。だから、妻が欲求不満になって、若いつばめを抱きたくなるのは無理もないというわけであろう。

彼らは当初、北アフリカのある海辺の都市に滞在するのだが、そのうち冒険心から、サハラ砂漠の真ん中へと旅をする。そこは普通の観光客が近づかないところで、言葉も通じない。そんなところで二人きりになった夫婦は、夫が腸チフスで死んでしまい、妻は一人きりで途方にくれてしまうのだ。その挙句に頼った隊商は、彼女を迎え入れてくれたはいいが、彼女は実力者の妾にされてしまうのだ。

妾にされたといっても、それなりに大事にされるし、相手はまだ若く、セックスもうまいので、彼女としてはあまり不満はないようなのだ。ところが彼女がいなくなったことを青年が不如意に思い、現地の大使館を使って彼女を「救出」する。しかし彼女はそれをうれしいと思うでもない。アフリカでしばらく暮らしているうちに、感情がすり減ってしまったようなのだ。

というわけで、どうにもとりとめのない映画である。ベルトルッチはこの映画をイギリス資本を使って作ったので、一応イギリス映画ということになっている。映画で使われている言葉も英語が基本である。



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