壺齋散人の 映画探検
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フェデリコ・フェリーニ「フェリーニのアマルコルド」:
フェリーニ自身の少年時代を回想



フェデリコ・フェリーニの1973年の映画「フェリーニのアマルコルド(Amarcord)」は、フェリーニ自身の少年時代を回想したものと言われている。フェリーニの生まれ育った町はリミニといって、中部イタリアのアドリア海に面したところだった。その町で過ごした十五歳頃の自分自身が回想されているのである。フェリーニは1920年生まれだから、15歳といえば1935年ごろのこと。その頃のイタリアはムッソリーニのファシスト党が専制権力を振るっていた。

映画の中では、主人公の少年チッタの家は小ブルジョワということになっている。ちょっとした家を構え、使用人も置いている。当時、小ブルジョワ層は大部分がムッソリーニ贔屓といわれたが、一家の当主でチッタの父親は、ムッソリーニを快く思っていない。といって左翼でもなさそうだが、とにかくファシストたちの横暴さが気に入らないのである。そんなこともあって、ちょっとした体制批判騒ぎに巻き込まれて、ファシストたちから拷問されたりもする。そんな夫を、妻のミランダは不安な目で見ている。一方、やんちゃ盛りの子どもたちには、慈愛のこもったまなざしを向けるのである。

映画は、チッタの家族が生きた一年間の時の流れにそって展開していく。春の到来を告げる綿毛の乱舞から始まり、翌年の綿毛の乱舞をもって終わるという具合になっている。その一年の間に色々なことが起きる。チッタ少年は、父親の政治的な心情にはあまり同調せず、女の尻ばかりが気になる。ませたかれは女に目がないのだ。特に、町にやってきた娼婦のグラディスカに入れあげてしまう。グラディスカは町中の人気者になるのだが、とくにチッタにとっては、女神のような存在なのだ。

映画は、チッタとグラディスカの間の成就することのない男女関係を中心に展開していく。グラディスカは、町に我が物顔にのし歩くドイツ兵のなぐさみものになるが、心まではドイツ兵に奪われない。結婚相手にはイタリア人を選ぶのである。チッタは自分が選ばれなかったことを残念に思うのだが、まだ子供のことだから、さっぱりとあきらめるほかはないのだ。なにしろ、巨乳の持ち主からおっぱいを吸えといわれても、むせかえるだけなのだ。男女関係を正しく学ぶには幼すぎるのである。

一家が別居している叔父を誘ってハイキングをするシーンがある。そのシーンの中で、叔父が大木に上って喚き散らす。この叔父は多少認知症ぎみなのだ。かれの叫びとは「女が欲しい」というものだった。その叫びを聞いた祖父は、まだ42歳じゃから無理もないと同情するのだ。イタリア人は、男女の間を人生の基本として生きているので、異性と縁のない人間は一人前とは見なされないのだ。チッタがグラディスカに執心なのは、一人の男として異性を求めるという、人間として当たり前の行動なのである。

この映画の中では、父親と並んで母親の存在感が大きい。その母親が死んだ時、チッタはむせび泣かずにはいられなかった。しかしいつまでも泣いてはいられない。遺族として母親を立派に葬ってあげる責任がある。チッタは霊柩馬車に乗り込んで、葬列を先導するのだ。その葬列をリミニの市民が沿道で見送る。みな十字を切って哀悼の意を表している。そういう光景を見ると、イタリア人の素朴な宗教意識を感じさせられるものだ。日本映画で葬列が出て来るものとしては、小津の「小早川家の人々」が有名だが、小津の映画では、遺骨を持った人を先頭にして、家族のメンバーが縦に一列になって橋を渡る光景が印象的だった。日本の葬列は、家族だけの内密な儀式だと伝わってきたものである。

ラストシーンは、綿毛が舞い散る街に孔雀が飛んできて、見事な羽を広げるところを写すのだが、それが何のシンボルだかはわからない。なお原題の「amarcord」は、amare(愛する)と corda(紐とか糸)の合成語だと思うが、どういう意味なのかは、これもわからない。



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