壺齋散人の 映画探検
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エルマンノ・オルミ「木靴の樹」:イタリアの農奴制的支配



エルマンノ・オンミの1978年の映画「木靴の樹(L'Albero degli zoccoli)」は、イタリアの貧しい農民たちの過酷な生活を描いた作品である。東ロンバルディアの農村地帯が舞台になっているが、どの時代かは明示されていない。作品の公式サイトには19世紀末ということになっている。その時代のイタリアでは、地主が大勢の小作人を使い、小作人の住まいを提供するかわりに、収穫の三分の二を取り上げたという。小作といっても、全人格で従属していることから、ロシアの農奴とかわらない。そんな農奴的な小作人たちの過酷な生活をドキュメンタリータッチで描きあげた作品である。

それにしても、その時代のイタリアは、ロンバルディアのような先進地帯でも、このような農奴制的な従属関係が蔓延していたのかと驚かされる。同時代の日本は、日清戦争をはさんで社会変動が怒涛のように進んでいるときで、農村では小農が没落して、地主への農地の集中が進んでいた時代だった。日本の地主・小作制度もかなり厳しいものがあり、その厳しさは内田吐夢の映画「土」などで描かれているが、この映画の中のイタリアの農民の厳しい生活ぶりは、その比ではない。イタリアは労働運動や農民運動が活発化し、共産党が強い影響力をもった時期があったが、この映画を見るとそのわけがわかるような気がする。少なくとも農民に関しては、とても人間的な生活をしているとは思えないのだ。

映画には筋の通ったストーリーがあるわけではない。農民の生活ぶりが、ドキュメンタリーふうに描かれているのである。それでも何組かの家族に焦点を宛てて、かれらの生活を時間軸に沿って描き出しているので、ある程度のドラマ性を感じないでもない。

映画の舞台は、東ロンバルディア、ペルガモ地方の農村地帯。大地主のもとに大勢の小作人が従属している。小作人たちは、収穫のうち三分の二を地主に収め、そのほか家畜類の世話もしなければならない。そのかわりに、田畑は無論住居や作業場、農具の類まで地主のものである。そんな境遇の農民たちのうち、映画は幾組かの家族に焦点を当てる。

学校に通う年齢になった子どもを抱えた家族。この家族にはもう一人子どもが加わることになっている。親たちは子どもを学校に通わせる余裕はないと思うのだが、教会の司祭から強く説得されて子どもを学校に通わせる。子どもは木靴を履いて片道6キロの道のりを通うのである。ところが、その木靴が壊れてしまう。父親は川べりに植えてあったポプラの木を切り、それで新しい木靴を作る。まともな靴を買ってやる金がないのだ。その木靴が映画のタイトルになっているわけである。

一家の柱が死んで、取り残された妻と六人の子どもたち、そして祖父の家族。妻は洗濯を引き受けてなんとか糊口を凌いでいる。その貧しさに同情した司祭が、末の子二人を孤児院にあずけるよう勧めるが、妻は15歳になった長男と相談してあずけるのをやめる。家族は一緒に暮らすのが自然だと思うからだ。

年頃の娘がいる家族。その娘に近所の男が言い寄る。娘は男の愛を受け入れて結婚する。しかし貧しすぎて新婚生活もままならない。そこで彼らはミラノの修道院に赴いて小さな子どもの里親を引き受ける。そうすることで、子のための養育費をもらえることを期待するのだ。

祭りの最中にたまたま拾った金貨を馬のひずめに隠したはいいが、馬がその金貨をどこかで振り落とし、怒り狂った男は馬と大喧嘩をする。馬も喧嘩を売られれば受けて立つというわけだ。また、仲が悪くて始終いがみ合っているばかりの親子とか、さまざまな家族が出てくる。彼らは毎晩一箇所に集まって、お互いに芸を披露しあい、無聊を慰めている。それしか楽しみがないのだ。

そんな彼等の生活ぶりを描いているうち、映画のハイライト場面がやってくる。ポプラの木を切られたことに腹をたてた地主が、木靴を作ってやった父親を追放するのだ。追放されれば生きていける見込みはない。そんなかれらの絶望的な境遇を映しながら映画は終わるのである。たった一本の木を切られたことで小作人の首を切るというのは、その代わりはいくらでもいると踏んだからだろう。要するに地主の権力は絶大なのである。だから誰も逆らえない。仲間の小作たちは、地主の怒りを恐れて誰も助けようとはしない。ただ去っていく家族を無言で見送るだけである。そこに映画の観客は、込められた憤りを読み取るというわけである。

そういうわけで、なんとも気の滅入るような内容の映画である。エルマンノ・オンミはネオ・レアリズモの巨匠の一人として、社会的な視線を強く感じさせる映画を数多く作ったということだ。



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