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エルマンノ:オルミ「緑はよみがえる」:第一次世界大戦を厭戦的に描く



エルマンノ:オルミの2014年の映画「緑はよみがえる(Torneranno i prati)」は、第一次大戦中のイタリア軍の前進基地を舞台にして、戦争の理不尽さとそれに翻弄される兵士たちの過酷な運命を描いた厭戦映画である。なぜ、第一次大戦から百年もたって、それに対する厭戦気分を映画のモチーフにしたのか。厭戦映画というなら、第二次大戦でもよかったわけだが、わざわざ百年前の戦争にこだわったのは、そこにまだ人間的なものをうかがえるからかもしれない。第二次大戦は、あまりにも非人間的であって、そこに人間を考えさせるものはないというような受け止め方がオルミにあって、第一次大戦の一齣をテーマにしたのかもしれない。

舞台はイタリア北部の山岳地帯。オーストリア軍と対峙する小隊の兵士たちが主人公だ。おそらくオーストリア軍のほうが圧倒的に優勢なのだろう。トーチカのような前線基地に閉じこもった小隊は苦戦を強いられている。だがかれらにはその苦戦を跳ね返す気力がない。というか、戦う意思がないのだ。小隊長は任務を放棄してしまうし、隊員の士気も低い。というか、ひたすら逃げ惑っているのだ。それでは戦いには勝てない。実際この小隊は、さんざん痛めつけられたあげくに、すごすごと撤退するのだ。撤退することは不名誉ではない。人間は生きていてこそ意味がある。死んでしまってはもともこもない、というようなメッセージが強く伝わってくるように描かれている。

だから、この映画を小生は厭戦映画だと言った訳だ。日本では、こんな映画は受け入れられない。戦争が嫌いな日本人でも、いざ戦場に立てば命をかけて戦うという者が大多数だろう。場合によっては、特攻のような自殺攻撃をも受け入れるに違いない。そこがイタリア人と日本人との根本的な違いだ。どちらがいいと言うのではない。考え方が違っているだけだ。

イタリア人からすれば、個人の命は国家の存続に先立つ。国家あっての個人ではなく、個人あっての国家というふうに考える。だから、自分の命に危険を感じたら、持ち場から逃げ出すのもありなのだ。この映画は、そうしたイタリア人の民族性を強く感じさせる。



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