壺齋散人の 映画探検
HOMEブログ本館美術批評東京を描く水彩画動物写真西洋哲学 プロフィール掲示板


タヴィアーニ兄弟「塀の中のジュリアス・シーザー」:民衆の扇動者


タヴィアーニ兄弟の2012年の映画「塀の中のジュリアス・シーザー(Cesare deve morire)」は、イタリアの刑務所生活をテーマにした作品。イタリアは日本と違って、囚人は基本的に禁固されるだけで、懲役はない。ということは、日常が退屈だともいえる。中には20年も刑務所暮らししている者もいるから、毎日を退屈せずに過ごせるかは、かなり深刻な問題だ。この映画の中の刑務所当局は、囚人たちの退屈をまぎらわせてやろうという親心から、囚人たちに気晴らしの機会を与えてやる。毎日芝居の稽古をして、その成果を地域の人々に披露しようというのだ。懲役が基本の日本の刑務所では決して出てこない発想だ。だが、これから日本でも、懲役ではなく禁固が基本になるようなので、イタリアの刑務所のこうした試みには学ぶべきことがあるように思える。

囚人たちから演技の素養のあるものが選ばれ、かれらが舞台稽古に励むさまを描く。演目はシェイクスピアの「ジュリアス・シーザー」である。その稽古を六か月かけて行い、晴れ舞台には近隣の人々を招いて成果を披露する。映画はまず、その披露の舞台を映すことから始まり、そこから六か月遡ったうえで、俳優たちの稽古の具合が丁寧に追われる。そして最後に再び晴の舞台を映しながら映画が終わるといった構成である。

映画の見どころは、俳優たちが稽古に専念するところだ。俳優たちの中には、演技に個人的な感情を持ち込んで、周囲と軋轢を起すものもいるが、稽古はなんとか無事終了し、晴の舞台を迎える。

稽古のシーンの圧巻は、ブルータスが民衆に向かって演説する場面と、ついでアントニーが反対演説をする場面だ。この映画の主人公はブルータスであるというふうに見せかけられており、観客はそのブルータスの演説こそ映画のハイライトと思うのだが、本当の主人公はアントニーであったというどんでん返しが待ち受けている。そのどんでん返しを成立させたのは、アントニーの巧みな演説なのであった。そのアントニーは、Tシャツ姿で髭を生やし、扇情的にしゃべりまくる。その扇動に乗って民衆がシーザーの復讐を叫ぶ。その折のアントニーの姿が、いま評判のゼレンスキーによく似ている。民衆の扇動者というのは、古代のローマでも現代のスラブでもたいして変わりはないのだと感じさせられる。もっともタヴィアーニ兄弟がこの映画を作ったのは2012年のことで、その当時にはゼレンスキーの影を見ることもなかっただろう。

なお、出演した俳優のうち何人かは、実際に服役していた囚人だという。服役中に本を出版したものもいるということだ。


HOMEイタリア映画








作者:壺齋散人(引地博信) All Rights Reserved (C) 2013-2021
このサイトは、作者のブログ「壺齋閑話」の一部を編集したものである