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ジュゼッペ・ピッチョーニ「ローマの教室で 我らの佳き日々」:イタリアの学園もの


ジュゼッペ・ピッチョーニの2012年の映画「ローマの教室で 我らの佳き日々(Il rosso e il blu)」は、イタリアにおける教育現場の一面を描いたものだ。日本で言えば学園もののジャンルに入る。日本の学園ものは、教師と生徒の信頼関係とか生徒同士の熱い友情がテーマになる。そこには集団主義的教育の価値観が盛られている。ところがイタリア人には、集団的な価値観は弱く、その代わりに世界一といわれる個人主義が徹底しているので、教育現場もそうした個人主義を反映したものになりやすい、というふうなことが、この映画からは伝わってくる。

日本で言えば、高校二年生にあたる生徒たちと、その教師たちとの係わり合いがテーマだ。主人公役の教師は三人、女性の校長、古参の美術史教師、新鋭の国語補助教員だ。かれらが担当する生徒たちは、あまりデキがよくないうえに、行儀も悪いとあって、クラスには規律がない。日本でいえば学級崩壊といってもいいような状態だ。だが個人主義が跋扈しているイタリアでは、これが普通なのだろう。教師たちはそういった状態を与えられた前提として、せいいっぱい努力するのである。その努力はかならずしも報われるとはかぎらない。それでも人間は確実に何かを学び、生きていくことができる、といったようなメッセージが伝わってくる。

三人の教師たちは、生徒との間でそれぞれ独自の関係を築いていく。それがこの映画の主な見せ所となっている。一番活躍するのは新米の補助教員で、かれなりにクラスを管理しようとする。その熱意を感じてかれに自発的な服従を示す生徒もいるが、まったく無視する者もいる。そんな中に、不良っぽい女子生徒がいて、教師は性的な徴発を感じたりもする。そんなこともあって、かれはその女子生徒を落第にする。ところが、女子生徒には色々な事情があって、もっと面倒をみてやるべきだったのに、自分はかえって官僚的な姿勢を見せてしまった、とこの教師は反省することになる。

女性校長は、男子生徒が体育館の片隅に寝ていることを見つけたことがきっかけで、その生徒の世話を焼くようになる。生徒の母親が行方不明になって、帰るべき家もなくなり、そのうえ肺炎になって入院することとなる。そんな生徒の世話をしているうちに、この校長は強烈な母性本能にとらわれたらしく、その生徒を息子のように思うようになる。日本の学園ものでは、女性教師が男子生徒に母性本能で接するようになるというシーンはなかなか見られないのではないか。

古参の美術教師は、学級崩壊を冷静な目で見ていて、積極的に生徒たちに関ろうとはしない。ところが昔の教え子だという女性からコンタクトがあって、教師はその元生徒に対して老いらくの恋のような感情を抱く。

というわけで、それぞれの教師と生徒にまつわるエピソードを描きながら、全体としてイタリアの学校現場の雰囲気が伝わるように作られている。なお、原題の「赤と青」は、映画の原作となった老教師の手記のタイトルだという。


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