壺齋散人の 映画探検
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イタリア映画「にがい米」:女性たちの季節労働



1949年のイタリア映画「にがい米(Riso amaro)」は、ロンバルディア地方の水田地帯を舞台に、イタリア人女性の季節労働をテーマにした作品。それに、二組の男女の数奇な関係を絡ませてある。

冒頭のアナウンスにもあるとおり、イタリア北部のポー川流域では、数百年前から、中国や東南アジアと同様に稲作が行われてきたという。稲作は、田植えの時期と刈り入れの時期、とりわけ田植えの時期に大勢の労働力を必要とするので、イタリア各地から女性労働力が集まってくる。彼女らは、貧しい家の人たちであり、毎年五月の田植えの時期に募集される季節労働のためにやってくるのである。雇用主はブローカーを通じて募集するので、働き手が直接応募することはできないシステムになっているようである。

各地からやってきた女性たちが、飯場のようなところに詰め込まれて、毎日農作業を行う。多くは若い女性だが、年配の女性も交じっており、中には子連れの女もいる。彼女らの賃金は出づら制をとっているので、現場に出ない日には出づらはつかず、食費を差っ引かれるばかりである。だから多少の雨くらいでは仕事をやめない。イタリア北部では、五月は雨が多いらしく、時には激しく降ることもある。それでも女たちは、出づら欲しさに仕事に出るのである。

そんな季節労働者の一団の中に、ブローカーを通さず、直に雇って欲しい連中がやってくる。その連中は、表向きは保護を受けられないので、正規雇用の連中より過酷な労働をしてなんとか賃金にありつこうとする。その非正規の連中の世話役的な女と、正規の連中からマドンナ扱いされている女とが、それぞれの立場に応じて争う。その争いは恋のさやあてにまで発展する、といったような内容だ。

そのマドンナ役をシルヴァーナ・マンガーノが演じている。一時期イタリア映画を代表する大女優として人気を誇った女優だ。一方、非正規を代表する女を、ドリス・ダウリングが演じている。ドリスが演じるフランチェスカは、悪い奴につきまとわれていて、警察に追われる身である。警察の眼をごまかすために、季節労働者を詰め込んだ列車に紛れ込んだことがきっかけで、以後非正規労働者の利害のために戦うはめになる。

そんな二人の女性を中心にして映画は展開していく。一応恋愛映画としての要素もあるのだが、主眼は季節労働者の過酷な労働条件を描くことにあるといってよい。そういう点で、戦後一時期盛んになったイタリア・ネオレアリズモの系譜上に位置づけられる作品である。




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