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イヴァーノ・デ・マッテオ「はじまりの街」:家族の解体



2016年のイタリア映画「はじまりの街(La Vita Possibile)」は、家族が解体の危機に陥り、母子が再出発に向けて模索するさまを描く。その過程で、13歳の少年が次第に自己を確立していく。現代イタリアの家族関係を、少年のイニシエーションを絡ませながら描いたヒューマンドラマである。監督はイヴァーノ・デ・マッテオ。

夫の激しい暴力に耐えられず、母親が13歳の息子を連れて家出する。トリノにいる友人を頼ったのだ。友人は、独身ということもあって、この母子を快く受け入れる。そこで母親はなんとか自立して息子とともに新しい暮らしを確立したいと思っている。一方息子のほうは、母親が父親から暴力を振るわれていることは知っているが、父親を憎んでいるわけではない。できればもとと同じように、両親とともに暮らしたいと思っている。だから、父親から自分あてに来た手紙を母親が隠したことに怒りを覚える。

少年は、友達ができすに孤独を強いられる。だからいっそう、新しい境遇になじめないのだ。そんな少年をめぐってさまざまな出来事がおきる。街娼との束の間の触合い、元サッカー選手だという近所のレストラン経営者、そして母親の友人との付き合いなどだ。少年が街娼に関心をもったわけは明示されない。なんとなく親しくなり、昼間のデートを楽しんだりする。だが街娼が車の中で客にやらせている場面を見て、少年は動転する。見てはいけないものをみてしまったと思う。

元サッカー選手だったという男には、事故で子供を死なせたという暗い過去があり、また、フランス人だということもあって、なにかと差別の対象となっている。そんな男と少年は、心の触れ合いを感じる。その男には、母親も、変な男に付きまとわれているところを助けてもらったことがあり、好意を抱いているが、かれらが親密になることはない。

母親は、一応安定した仕事を見つけ、いよいよ息子とともに自立へと準備を始める。そんな彼女にとって最大の課題は、息子が自分とともにこの先生きていくことを受け入れるかだった。息子の父親への愛は、かなり深かったのである。しかし息子のほうは、次第に自分や母親の置かれている状況を理解していく。世の中に生きることの意味もだんだんとわかってくるのだ。映画はそんな母子がこの先、二人で新しい生活を確立するであろうと予感させながら終わるのである。

この映画を見て、もっとも印象に残ったのは、イタリア男の暴力的体質だ。イタリア男は支配欲が強く、妻を自分のいいなりにしたがるという。普通のイタリア女は、そんな男の幼稚さを受け入れるのだが、この映画の中の母親はそうではない。不条理な暴力を受け入れる気にはなれないのだ。そこに新しいイタリア女の姿を見てほしいというのが、監督マッテオの意図のようだ。




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