壺齋散人の 映画探検
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ピエル・パオロ・パゾリーニ「アラビアン・ナイト」:不徹底な猥褻さ



「アラビアン・ナイト(Il Fiore delle mille e una notte)」は、「デカメロン」及び「カンタベリー物語」に続く猥褻小話映画だが、前の二作に比べるとやや冗長な感じが否めない。時間が長いということもあるが、全体にいまひとつぱっとしない。というのは、原作の「千一夜物語」は、猥褻が売り物ではなく、その点で、猥褻を生命とするこの映画とはフィットしない上に、映画自体も、前の二作に比べて猥褻のポリシーが不徹底であるように思える。観客はこの映画の中で、男女の裸を散々見せられるのだが、男女の裸そのものは別に猥褻とはいえないし、その裸の男女が絡み合うところも、あまり猥褻さを感じさせない。恐らくこの映画には、猥褻と滑稽との結びつきが弱いために、猥褻が生真面目な印象を与えるのであろう。猥褻は本来笑いを伴うもので、生真面目な猥褻は形容矛盾のようなものだ。

パゾリーニは、千一夜物語の膨大な物語の中から猥褻な匂いのする話を選んで、それをつなげあわすことで一編の映画にした。話相互にほとんど脈絡のないことは、前の二作と同様だ。ただ、この映画では、冒頭に出てくる貧乏な少年と黒人女奴隷の話を、映画の要所要所で展開して見せ、その合間に他の猥褻小話をさしはさむという手法をとっている。要するに主軸となる物語を入れることで、映画全体にある種の統一性を持たせようとしたのだろうが、その試みはあまり成功したとはいえない。というのも、こんな工夫がなくとも、映画自体に変わりがあるとは思えないからである。

筆者は、千一夜物語を全部通読したわけではなく、また、アラジンとかシンドバッドのイメージがあまりに強いので、この映画に出てくる小話の類が、はたしてあったのかどうかもわからない。だから原作との比較は出来ないのだが、たとえば冒頭に出てくる黒人の女奴隷が、いかにも西洋人的な雰囲気なので、パゾリーニは原作を大分改変したのではないかという印象は持つ。その印象は、チベットらしい王国が海のそばにあるように描かれているところでも感じたが、これはもしかしたら原作自体が間違っているのかもしれない。

その黒人女奴隷と貧乏な少年との関係については、少年が金を出して女奴隷を買ったのではなく、女が金を出して少年に自分を買わせたということになっている。つまり女は奴隷を装うことでボーイハントをしたわけだ。この女奴隷は数奇な運命をたどる。山賊の一味にさらわれて、40人の男たちの相手をさせられようとするところを脱出し、とある王国の跡継ぎに選ばれる。その王国に、自分をさらった男がやって来たのを磔にして殺し、最後には自分を探してやって来た少年と結ばれるという話になっている。

この話の合間に、いくつかの話がさしはさまれる。黒人の少年少女が、気晴らしを求める夫婦に拾われた挙句、互いにセックスを仕掛けあって夫婦の倦怠をほぐしてやるという話。アジズという男がアジザという女と婚礼を取り結ぶが、その当日にアジズは他の女に一目ぼれしてしまう。そんなアジズにアジザは恋の手ほどきをしてやった挙句自分自身は自殺してしまうという話。悪魔の妾を誘惑したことで悪魔から猿に変身させられた男の話。その男が人間の姿にもどった後、まだ幼い少年を剣で刺し殺す話などである。そのいずれもが、裸の男女がもつれ合うシーンであふれているが、なぜかあまり猥褻な印象は感じさせないのである。

アジズがアジザを悲しませた罰としてペニスの亀頭を取られるシーンが出てくる。二度と女を悲しますことができないようにとの意図から出たこの行為は、なかなか見所がある。ナイフで亀の頭をちょん切るのではなく、亀の頭の頸元をタコ糸のようなもので縛り、糸の両端を引っ張り合うことで亀の頭を胴体から切離そうというのである。こういう拷問法は、日本人には考え及ばないものだ。世界には色々な民族の変った風習があるものだと、改めて気付かせてくれる場面だ。ちなみに漢土の風習である宮刑は、陰嚢・睾丸を除去するのであって、陽根のほうは残しておいてやる。だから宦官たちは、小用を足すに不便をきたすことがないばかりか、女性との間の楽しみを奪われることもなかったのである。

最後の場面では、殺されると思って戦々恐々としている少年の前で、女奴隷のズムルードが裸になって自分だとアピールする。少年のほうは、相手が自分を弄ぶものと覚悟して、うつ伏せになって尻を差し出し、さあいつでも掘ってくださいという体勢をとっていたところ、思いがけず自分の探していた女と出会い、幸福感に浸る。そこで映画はハッピーエンドを迎えるというわけである。



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