壺齋散人の 映画探検
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イタリア旅行:ロベルト・ロッセリーニの映画



ロベルト・ロッセリーニの1954年の映画「イタリア旅行(Viaggio in Italia)」は、ロッセリーニにとって転機となる作品だった。かれはイタリアン・ネオ・レアリズモの旗手として登場して以来、社会的視線を強く感じさせる映画を作ってきたのだったが、この「イタリア旅行」には、そうした視線は感じられない。ここでのロッセリーニの視線は、人間を囲む外側の社会に向かってではなく、人間の内面に向けられているのだ。その内面とは、人間としての充実感ではなく、倦怠感というべきものによって浸されている。その倦怠感は、夫婦関係の不全からもたらされる。この映画は、夫婦関係の危機を描いているのである。

イギリス人の夫婦がナポリにやってくる。目的は夫が相続したマンションを検分し、できればそれを売りに出すことだ。その夫婦はイギリス人だから、二人の間の会話は当然英語である。また映画の中では、かれらの親しい友人ばかりが出てくるので、その友人たちも英語で話す。というわけでこの映画は、イタリア映画にかかわらず、英語ばかりで成り立っている。ときたまイタリア語が出てくるが、それは無教養なイタリア人の言葉であり、そういう人を相手にしては、「水が欲しい」といった意思も伝わらないのである。

おそらくこの夫婦は、以前からしっくりしていなかったのだろう。イタリアにつくとすぐに疎遠にふるまい、夫は他の女に色目を使うし、女は一人で周辺をさまよいながら時間を潰す。映画は、主に女が時間を潰す場面の連続からなっている。小生も訪ねたことがあるナポリの考古学博物館とか、ポンペイの遺跡とか、活発な火山活動の現場といった具合だ。時には女友達に誘われて古代の墓地を訪ねる。これは地下の墓地ではなく、協会の地上の空間に設けられたもので、おびただしい数の頭蓋骨が陳列されている。そうした頭蓋骨は、土葬文化のヨーロッパでは、あちこちで見られるそうである。頭蓋骨を見ることで、ヨーロッパ人は自分自身のルーツを確かめるというわけであろう。

二人の関係はだんだん悪くなっていく。その挙句、夫のほうが妻の面当てめいた態度に怒りを爆発させる。「離婚する」というのだ。妻はその言葉に現実味を感じられない。そうこうしているうち、ナポリの有名なマリアの祭の行列に遭遇し、大騒ぎの中に巻き込まれる。その騒ぎの中で二人は、どういうわけか仲直りをするのだ。

この夫婦が危機に面しているのは、どうやら子どもがいないせいだと分かってくる。女は街で小さな子どもを見るたびに、心を動かされるのだ。だから、子どもができればもっと充実した夫婦関係を築けるかもしれない。こういう受け取り方は、イタリア映画の受け取り方にしては陳腐に思われるのだが、ロッセリーニはとりあえずそんなふうに整理して、危機に陥った夫婦を救い出すのである。

ロッセリーニがイングリッド・バーグマンをチャーターした第四作目である。


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