壺齋散人の 映画探検
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イノセント:ルキノ・ヴィスコンティ



ルキノ・ヴィスコンティの1976年の映画「イノセント(L'innocente)」は、かれにとっての遺作となった作品。イタリア貴族社会の腐敗に近い爛熟振りを描いている。ヴィスコンティには、ネオレアリズモ風の、庶民の生活をテーマにした一連の作品がある一方、このように貴族社会を取り上げたものがあるのは、かれ自身貴族階級の出身でありながら、共産主義にかぶれたという複雑な性格によるのだろう。

独善的で虚栄の塊のような男が、二人の女の間で引き裂かれ、ついには自殺に追い込まれるといった、いささかメロドラマ風の作品である。この男は、妻の目の前で公然と愛人を見せびらかすほど無神経な男なのだが、その妻が自分に愛想を尽かして他に男を作ると心が千路に乱れる。イタリア男には珍しいほど嫉妬心が強いのだ。もともと、互いにそれぞれの性的な自由を尊重しあおうと言っていたくせに、妻が男を作り、あまつさえその男の子どもを妊娠するに及んで、、パニック状態に陥る。当初は、その子を堕胎するよう妻に迫るが、出産への妻の意思が固いとみるや、生ませておいて、そのあとで乳児の殺害に及ぶ。怒った妻は、夫を捨てて去る。一方、夫のほうは、一旦きまずくなった愛人とよりを戻そうとするが、その愛人からも愛想を突かされてしまう。そこで進退窮まった男は、愛人の目の前で拳銃自殺する、というような内容の映画である。

イタリア男としてはあまりにも優柔不断であるし、また、その妻も、イタリア女としてあまりにも愛にこだわりすぎる。夫婦が互いに愛人をかこちあうのは、イタリアでは珍しくないというし、かれらにとって恋愛はゲームのようなもののはずなのだが、この映画の中の男女は、恋愛について真剣に考えすぎている。そこに我々外国人は、イタリア人についてのステロタイプを砕かれたように感じる。イタリア人にはやはりフリーセックスが似合っているのであり、夫婦の間といえども、相手のフリーセックスへの権利が制約できないはずなのだ。

夫が愛人を作るのは、イタリア男としてごく当たりまえことだが、妻が恋人を作るのは、やはり欲求不満のためだろう。かれら夫婦は、長い間セックスレスの状態だったのだ。だから妻の妊娠が判明したとき、夫のほうは呆然とするし、妻の方は隠し立てができなくて羞恥心を感じるのだ。夫としては、妻とはやっていないにかかわらず、子どもができたというのは、顔に泥を塗られたのも同然だ。妻に子どもを作ってやった男は、夫も知っている作家で、夫はその男に嫉妬のようなものを感じていた。妻の気を惹いているというだけでなくて、その作家が見事な肉体をもっており、どんな女でも陶然としないではいられないからだ。妻もその男に陶然となって体を許したのだろう、そう思うと、嫉妬のほむらが燃え上がるのだ。とくに、その作家は見事なペニスの持ち主であり、そのペニスで妻を喜ばせたのだろうと思うと、気も狂わんばかりに煩悶するのである。

こんなわけで、他に女を作って楽しみながら、妻の不倫に直面するとうろたえるという、イタリア男らしくもない男の心の乱れを描いた映画なのであるが、なんとも後味の悪い作品である。妻が不倫をするたびに自殺していていたのでは、男は幾つ命があっても足りないではないか。

なお、妻を演じたラウラ・アントネッリが、夫に丸裸にされて愛撫を受けるシーンが出てくる。彼女の肉体の豊満さは見ていてため息が出るほどである。それにわざと腋毛を生やしている。当時のイタリアには、女が腋毛を剃る習慣がなかったのだろうが、今の世の中では、女の腋毛を見せられると、なんとも挑発的に感じるものだ。




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