壺齋散人の 映画探検 |
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今村昌平は、戦後の映画作家としてはスケールの大きな監督である。同時代に対する鋭い視線を感じさせる社会派の作品から、日本的なものの原点に肉薄する時代ものの作品に至るまで、広い領域をカバーした。その映画作りの特徴は、テクニックに囚われず、事象のもつエネルギーをそのままに発散させ、時にはそれを爆発させることである。こういうタイプの映画作家は、世界的にも珍しいのではないか。日本の土の匂いを世界に向って発散させた映画作家というような言葉がふさわしいといえよう。 |
今村昌平の名を世間に知らしめたのは、1958年の映画「にあんちゃん」であるが、これは興行的には非常に成功したものの、今村自身はあまり自慢してはいない。というよりか、よくもこんな映画を作ったというような言い方をしている。要するに自分のガラに合わないというのである。だが、そうした今村自身の思いとは別に、この映画「にあんちゃん」は、ヒューマニズム映画の古典として、長く残るのではないか。 次作の「豚と軍艦」は、今村昌平らしさがふんだんに盛り込まれており、今村自身も気に入っていたようだ。これは米軍横須賀基地をテーマにしたもので、日本の対米従属の情けない姿を今村なりにパンチのきいたやり方で皮肉ったものだった。 1963年に作った「にっぽん昆虫記」は、ユニークな映画作家としての今村昌平の名声を確立した作品だ。これは売春稼業をテーマにしたもので、一売春婦だった女が売春宿を経営するようになる過程を描いた。すでに売春防止法は廃止されて、日本に売春婦はいなくなっていたはずだが、かつての売春婦たちの生き方は日本の女の一つの典型を示したものだとの認識を世間に知らしめた作品だ。日本の映画史上に残るべき傑作といってよい。 その翌年に作った「赤い殺意」は、「ニッポン昆虫記」に出てきた女とは真逆なタイプの女を描いている。自主性がなく、他人のいいなりになり、そのあげくストーカーの男に強姦され続けるといった、今では考えられないような行動をする女を描いたこの映画を、今村昌平自身は非常に気に入っているというから、かれは、「ニッポン昆虫記」に出てくる自立した女より、「赤い殺意」の春川ますみのような女をより愛していたということなのだろう。 1966年の映画「エロ事師たち 人類学入門」も、「ニッポン昆虫記」同様、売春をテーマにした作品で、セックスは人間の本質にかかわるという今村昌平の哲学のようなものを感じさせる逸品である。哲学といえば、今村はその頃柳田国男の民俗学に凝っていて、柳田の思想を映画に反映させたいと思っていたようだ。1968年の映画「神々の深き欲望」は、そうした今村の学問的関心を盛り込んだ作品で、沖縄を舞台にして、スケールの大きな物語を展開している。今村昌平の最高傑作といってよい。 1979年の作品「復讐するは我にあり」は連続通り魔殺人として世間を賑わした西口事件をテーマにし、大いにヒットした。また1981年の作品「ええじゃないか」は幕末の動乱を描いたもので、桃井かおりの立小便が話題になった。1983年の「楢山節考」は、木下恵介とはまた異なった演出で話題をさらい、カンヌでパルムドールをとった。今村昌平は1997年に作った「うなぎ」でもパルムドールをとっており、世界の一流監督として認知された形だ。 その間には、「女衒」のように日本帝国主義を海外で支えた売春婦たちを描いたり、広島の原爆災害をテーマにした井伏鱒二の小説「黒い雨」を映画化したりと、映画作りへの情熱には衰えるところがなかった。しかも晩年に及んでなお、壮大なスケールの映画を作り続けた。まるで映画を作るために生まれてきたといえるような、幸福な映画人生を送ったといえる。ここではそんな今村昌平の代表作品を取り上げ、鑑賞のうえ適宜解説・批評を加えたい。 |
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