壺齋散人の 映画探検
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大島渚の世界:作品の解説と批評


大島渚は、日本のヌーヴェルヴァーグ映画の運動を牽引した作家と言われる。ヌーヴェルヴァーグは、1950年台後半から1960年台のフランスで広がった運動で、社会のあり方に疑問を投げつけるのが特徴だった。日本のヌーヴェルヴァーグ運動は、松竹を中心に起きたので、松竹ヌーヴェルヴァーグとも呼ばれている。大島渚のほか、篠田正弘や吉田喜重がその担い手と言われていた。もっとも大島本人はそう呼ばれることを嫌ったそうだ。松竹ヌーヴェルヴァーグは、本家フランス程の思想性を感じさせないが、大島渚の映画には、政治的なメッセージが色濃く含まれている。

大島渚は1959年に「明日の太陽」で監督デビューし、青春映画のようなものを作っていたが、その代表的な作品は1960年の「青春残酷物語」である。これは当時流行した太陽族のパロディといったもので、若者たちの鬱屈した青春を描いたものだ。ついで大島は、「日本の夜と霧」、「日本春歌考」、「無理心中日本の夏」といった青春映画をひねったような作品を作り続けた。そうした作品が、日本のヌーヴェルヴァーグを飾るものとして受け取られたわけだ。「飼育」は、大江健三郎の初期の短編小説を映画化したもので、原作が戦争の理不尽さをえぐりだしているのに対して、日本人の愚かさのほうを強調したものだった。

1968年の作品「絞死刑」は日本の死刑制度への疑問を表明したものであり、その翌年の「少年」は、子供に当たり屋をやらせながら放浪する一家を描いた。これは繁栄の陰にある悲惨を描いたものとして、日本の現状への強い批判を盛り込んだものであった。一方で、「新宿泥棒物語」のような、戦後の繁栄の中で、暴動というかたちで鬱憤をはらす若者たちを茶化すような映画も作った。

大島渚には、一定程度、日本社会への批判意識があった、それが、1983年の作品「戦場のメリークリスマス」で頂点に達した。これは日本軍のビルマ戦線における捕虜虐待をテーマにしたもので、デヴィッド・リーンが「戦場にかける橋」で取り上げたテーマを、日本人の立場から取り上げたものだったが、日本映画にかかわらず、日本軍への強烈な嫌悪感が表面に出ていて、保守派からは強い反発を受けた。なおこの映画には、若い頃のビートたけしが端役で出演する一方、当時世界的に人気のあった歌手デヴィッド・ボーイーが出演して、日本人音楽家坂本龍一と演技比べをしているので大きな話題となった。大島渚は、「新宿泥棒物語」では、当時かけだしだった唐十郎や横尾忠則を素人俳優として起用するなど、芸術家仲間を大事にするところがあるようである。

大島渚には、セックスを大胆に描く傾向があるが、「愛のコリーダ」は、その代表的なものだ。これは、男根切り取り事件を起こして世間を騒がした阿部貞をモチーフにしたもので、大胆なセックスシーンが当時の観客の度肝を抜いた。阿倍さだが自分の眼の前で男に老女を犯させ、老女が恍惚にもだえるところなどは、得も言われるエロスを感じさせる。そんなわけで、日本もいよいよ欧米並みに、セックスが映画のなかで赤裸々に表現される時代を迎えたことを、世間に認識させることになった。

こういう具合に大島渚は、かれなりの問題意識から、日本社会を批判的な目で描き続けながら、ときにはナンセンスな猥雑さやエロティックなセクシュアリティにも関心を示したといえる。ここでは、そんな大島渚の代表作を取り上げ、鑑賞のうえ適宜解説・批評を加えたい。


大島渚「青春残酷物語」:新しい時代の新しい青春像

大島渚太陽の墓場」:青年の暴力と悪行

大島渚「日本の夜と霧」:60年安保への批判

大島渚「飼育」:大江健三郎の小説を映画化

大島渚「白昼の通り魔」:連続通り魔強姦事件

大島渚「日本春歌考」:俗謡に込められた民衆のエネルギー

大島渚「無理心中日本の夏」:死にたがっている男としたがっている女

大島渚「絞死刑」:死刑制度への批判

大島渚「新宿泥棒日記」:悪ふざけの精神

大島渚「少年」:当たり屋の生きざま

大島渚「儀式」:古い日本の崩壊

大島渚「愛のコリーダ」:安倍定事件を描く

大島渚「戦場のメリー・クリスマス」:日本軍の捕虜虐待

大島渚「御法度」:新選組における男色



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