壺齋散人の 映画探検
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大島渚「白昼の通り魔」:連続通り魔強姦事件



大島渚の映画「白昼の通り魔」は、題名にあるとおり連続通り魔事件の犯人像を描いている。だが、主人公と言うべき通り魔の視線から描いているわけではなく、被害者である女性の視点から描いている。その被害者は二人いて、そのうちの一人シノ(川口小枝)は、他の男と無理心中をして死に損なったところを、失神した状態で強姦される。もうひとりは、角の立ったオールドミスのマツ子(小山明子)が、強姦されたことを逆手にとって男と結婚したということになっている。その男と言うのは、この二人とは同じ部落の人間で、どうやら差別されているように描かれている。この男英助(佐藤慶)がこれらの女たちを強姦したのは、日頃差別されていたことに対する意趣返しだったようなのだ。

映画では、この男が次々と通り魔犯罪を重ねていくと言うメッセージが流れるが、その場面が映し出されることはない。映し出されるのは、男がシノの前に現れて彼女を再び強姦するところや、強姦されなおして最初の強姦を思い出したシノが、男と同じ部落で暮らしていた頃のことを思い出す回想のシーンだ。このシーンの中にマツ子も出てくる。この女性は中学校の教員で、なにかと現実離れした観念論ばかりを弄ぶオールドミスということになっている。彼女の口癖は、「愛は無償の行為である」ということなのだが、男に強姦された後で、この言葉の空虚さに気づくと言うわけなのだ。言葉の空虚さのついでに、マツ子はこの男にむりやり結婚をせまるのである。

男が通り魔になった原因は、半分死んでいるシノを強姦したことだった。そのときの震えるような興奮が忘れられずに、その後、女を襲っては、失神したところを強姦すると言う犯罪を重ねるようになるのである。

シノが心中した相手と言うのは、村の有力者で、村会議員に当選したばかりの日向源治(戸浦六宏)だった。源治はマツ子に惚れているのだが、彼女から愛を拒まれたことがショックで、どういうわけかシノと無理心中する決意をする。シノは源治を心から愛していたわけではないが、金を借りていたことなど、ある程度の恩義もあるので、無理心中に付き合うことにする。つまり、シノという女は、マツ子同様変わった女で、しかもいくらか脳味噌の足りない女として描かれているわけである。

源治とシノは、大きな木の枝に並べて架けた紐に首を吊り、一緒に死のうとするのだが、シノのほうは英助の手で、首を吊っていた縄を切られ、間一髪で死に損なう。そのシノの半分死んでいる体を、源治のぶら下がっている前で、英助は強姦するのである。

英助に強姦されたシノは、心中騒ぎもあって、部落にいづらくなり、都会へ出て行く。そんなシノを英助は忘れられずに、追いかけてくるのである。英助は、シノを強姦しなおす傍ら、ほかの女性を次々と襲うのだが、その辺が画面に現れてこないのは、上述したとおりだ。

英助が、連続通り魔事件の犯人だという確信を持つようになったシノは、警察に接近したり、マツ子に情報を提供したりする。しかし、最初のころは、どうしてよいものかわからないでいる。あまり頭が働かないからだ。そうしているうちにも、英助はつぎつぎと連続通り魔事件を引き起こしていく。警察もその行方を追って血眼になる。シノはそんな状況を前にして。ついに英助の逮捕にむけて警察に協力する決意をする。

結局英助は、警察に逮捕される。これに一番ショックを受けたのが、英助の妻に納まっているマツ子だ。マツ子は、そもそも英助を愛していたフシがある。だが英助は自分の教え子でもあり、素直にその愛をうちあけられない。そんなところへ、英助から強姦されたわけであるが、強姦を理由にして英助に結婚を迫った。そんなマツ子を、英助は最後まで愛することがなかったのだが、マツ子のほうでは、英助への錯綜した愛の虜であり続けていた。その愛がよりどころを失ったことで、マツ子は死ぬことを決意する。だがどういうわけか、一人で死ぬのは嫌で、シノに心中してくれと頼む。こうしてシノは、再び無理心中の片棒を担ぐことになるわけだが、最初の心中と同じように、またもや死に損なってしまうのである。

こんなわけで、この映画はわけのわからないところばかりだと言ってよい。ひとつだけわかりやすいのは、シノのバイタリティだ。このバイタリティのおかげで、彼女は二度の心中を生き抜くのだが、そうかといって、自分の人生に未練があるようにも思われない。足りない頭では、そんな余計なことは考えられないとでもいうかのようだ。

大島はこの映画を、武田泰淳の同名の小説をもとに作ったという。武田泰淳は、筆者も一時期だいぶ入れ込んだことがあり、大方の作品は読んだつもりだったが、この小説については記憶に残っていない。しかし、映画の雰囲気からも、いかにも泰淳らしいといった感じは伝わってきた。泰淳特有の、不道徳で、公序良俗を挑発するようなところが、この映画からも伝わってくる。



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