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岩井俊二「Love Letter」:若者をめぐる二人の女性



誰しも青春時代のほろ苦い思い出をもっていることだろう。初恋のときめきというのは、老年になっても忘れられないものだ。それゆえ、映画でもくりかえし描かれ、そのたびに感動を集めてきた。その感動はさわやかであったり、涙をさそうようなものだったりする。それを月並みだと言って笑うのは無粋なことだ。

岩井俊二の1995年の映画「Love Letter」は、そんなほろ苦い青春の一コマを描いた作品だ。一人の若者をめぐっての二人の女性の妙なかかわりを描いている。女性のうちの一人は、若者の元恋人、もう一人は中学生時代の同級生だ。その二人が妙なことから文通をはじめ、かわしあう手紙を通じて、その若者と自分との関係について見直すのである。

その若者は登山事故で二年前に死んだのだった。その三回忌に、かつての恋人博子が出て、若者の母親から中学校の卒業アルバムを見せてもらう。若者の一家はもと小樽に住んでいて、道路拡幅事業のために立ち退きをせまられ、神戸に引っ越してきたのだった。だから今は小樽とは縁が切れている。その小樽のかつての住所が、アルバムに乗っていたので、博子は、天国に届けるような気持ちで、その住所宛てに手紙を書く。無論返事は期待していない。ところがそこから返事が来たのだ。

どういうことかと混乱したが、やがて事情が明らかになる。若者の名は藤井樹というのだが、同じクラスに同姓同名の女子生徒がいたのだった。博子が手紙を出したのは、その藤井樹の家だったので、手紙は無事彼女のもとに届き、いたずら心から返事を出したというわけだった。

そのことがきっかけで、二人の間に文通が始まる。その文通を通して、同姓同名の若い男女の青春時代の一コマがだんだんと明らかにされていく。まだ中学生のことだから、本物の恋愛感情にはならないようで、じっさい女子のほうには、男子への特別な思いはないのだったが、男子のほうでは女子に特別な感情を抱いたらしいことが段々とわかってくる。それは手紙の効用によるもので、手紙をきっかけに過去のことを思い出してくるうちに、相手の自分への愛情が意識に上って来るのである。

こんなわけで、文通をきっかけにして、青春時代のほろ苦い記憶がよみがえって来るところを描いている。こういう映画を見ると、小生などは、老人の身であることを忘れて、自分自身の青春時代に思いが行くのである。小生はその道には奥手であったから、中学生時代には異性を意識したことはなかったが、高校生ともなれば、意識を占める女性が現れたりした。その女性に対して、小生は不器用な態度しかとれなかったのだったが、その態度は、この映画のなかの男子のそれと全く同じなのであった。それゆえ、この映画を見ると、小生はあたかも自分自身の影を見るような気持ちになるのである。

文通しあう二人の女性を、中山美穂が一人二役で演じている。中学生時代の若い男女は、その年齢の男女が演じているが、そちらのほうの演技、とくに女子の演技は見どころがある。



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