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リリイ・シュシュのすべて:岩井俊二



岩井俊二の映画作りの特徴は、思春期の少年少女にこだわることだ。「Love Letter」では、同姓同名の中学校の男女の生徒がそれと意識せずに初恋らしいものを味わうところを描いたし、「スワロウテイル」では、中国系の在日少女を中心にして、在日外国人の生きたかを描いた。「リリイ・シュシュ」もまた、中学生の男女たちの思春期を描いた作品だ。だが先行する作品とは違いもある。いじめとか暴力といった、思春期の陰惨な側面に焦点を当てているのだ。

少年による凶悪事件は、近年でもなくなっているわけではないが、かつてほどは話題にならなくなった。少年による凶悪事件が多発したのは、1970年代の終わりから1980年代の半ばごろで、校内暴力が社会問題になった。荒れる中学校と言われ、中学生による校内暴力が深刻な社会問題となり、また、小学校にも広がる勢いを見せた。小学校では、学級崩壊が深刻な問題となった。そういうなかで教師の指導力が批判されたり、教育便場におけるゆとりのなさが取り上げられ、そこからいわゆるゆとり教育への流れが生まれたのであった。してみれば、今日のゆとり教育は、校内暴力から生まれたといえなくもない。

岩井俊二が「リリイ・シュシュのすべて」を作った2001年には、中学校の校内暴力は、大きな社会問題にはなっていなかったが、少年による凶悪事件はなくなってはいなかった。この映画は、そうした少年による凶悪事件と、それをもたらした社会のあり方に、一定程度批判的な視点を向けた作品である。

舞台は宇都宮あたりのさる中学校。そこの中学校を舞台にして、さまざまないじめとか暴力が吹き荒れるさまを描いている。暴力は少年たちによる少女の集団レイプとか、少年同士による殺人事件にまで発展する。それを見せられると、人間という生き物は、幼い頃から暴力への傾向を内在しているのだと思い知らされる。それをたわめて、おだやかな人間に育てるのは、社会全体の教育への取り組みだ、というような言外のメッセージが伝わってくるような作品である。

主人公は、雄一という中学生の少年。かれは同級生の星野と、ふとしたことから仲良くなり、ずっと一緒に行動するのだが、そのうち星野が大化けして手の付けられない悪ガキになる。その星野に雄一は逆らえなくて、意のままに支配される。その星野は大勢の悪ガキを従えて、さまざまな悪事をする。その悪事で得た金で、沖縄に手下ともども遊んだりもする。悪事はエスカレートし、少女に援助交際をさせ、その報酬をピンハネしたりもするのだ。また、手下に他の少女を襲わせ、集団でレイプさせる。雄一も星野の毒牙にかかり、裸になったうえで、マスタベーションをするように強要されるのだ。

雄一は星野と趣味を共有していた。リリイ・シュシュという女性歌手だ。リリイ・シュシュのCDが欲しくて万引きするほど、雄一はリリイに入れあげている。そのリリイを他の人びとと共有したくて、雄一は提示版のようなSNS機能を運営している。映画はその掲示板に寄せられたリリイのファンのメッセージを、頻繁に画面で紹介するのである。

映画は、そのリリイの演奏会の会場付近で、雄一が星野を刺し殺すところで終わる。体場付近で生じた大混乱に乗じる形で、雄一は星野に近づき、持っていたナイフで星野の背中を刺すのである。それは長い時間をかけて用意していた行為だというメッセージが伝わってくるようになっている。それほど星野の暴力は雄一にとって耐えられなかったということだろう。

この映画は、少年の暴力について色々と考えさせる。星野が大化けしたのは、クラスを支配していた他の悪がきを倒したことだった。少年特に中学生にあっては、体格の相違が支配・被支配の基準になるので、成長の度合いに応じて、支配するものと支配されるものとが入れ替わる。星野は、ある時期に自分より強かった少年より腕力が強くなり、それをきっかけにして、支配者にのし上がったわけである。その星野に比較して、雄一はいつまでも体格が劣っている。だから星野にはつねに支配される側にあるわけである。

もうひとつ、大人特に教師のかかわりが、この映画では否定的に描かれる。担任の女性教師は、クラス内で横行している暴力に気づいていながら、それを制止しようとはしない。子どもとはいえ、仕返しが怖いからだ。こうした腰の引けた態度が、子どもたちの暴力を繁茂させるのだというメッセージが伝わって来る。

星野から性的に搾取される少女を蒼井優が演じている。この時の蒼井はまだ十六歳で、表情は子供っぽく、その後の蒼井のイメージとは結びつかない。




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