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酔いがさめたら、うちに帰ろう:東陽一



東陽一の2010年の映画「酔いがさめたら」は、アルコール依存症がテーマだ。アルコール依存症になった男が、そのことが理由で妻子に去られたのだが、その妻子の励ましを受けながら立ち直ろうとするものの、アルコール依存症とは別の病気、癌で命を落とすところを描いている。その描き方がやや違和感を抱かせるように感じるのは、主人公のアルコール依存症患者の人格が、かなりゆるく描かれているためだろう。この男は、自分自身に甘えがあるのだが、その甘えを別れた妻子までが助長している。また、かれが治療のために入院した精神病院のスタッフや患者たちも、かれを励ます役割を果たしていて、これで立ち直れないようでは、どうしようもないと感じさせるからだ。実際、かれは癌で死ぬことになるわけだから、何のために治療を受けたのか、腑に落ちないと思わせるところが、この映画にはある。

この男のアル中度はすさまじいもので、何度も吐血する。その喀血は、肝臓がアル中のためにパンクして、食道静脈瘤が破裂したからだということになっている。しかも十回も吐血したというのだから、いったいどうなっているんだと言いたくもなる。そんなにまでひどいアル中になった理由は、父親がやはりアル中だったという以外に、心当たりはない。アル中のために心もいかれてしまい、妻に対して暴力を働き、それが理由で離婚するまでになる。だが、別れた妻は夫のことをまだ愛していて、できるなら立ち直って欲しいと思っている。もしそうなったなら、また一緒に暮らしてもいいとまで思っているらしいのだ。

こういう夫婦関係が実際にあるのかどうかわからないが、これは原作者が自分の体験を書いたということだから、その原作者の身の上に起こったことなのだろう。原作者は戦場カメラマンの鴨志田襄で、この映画でも、主人公の戦場カメラマンとしての活躍ぶりが言及されたりしている。しかしその部分は、映画の筋とはほとんどかかわることはないので、映画の本筋はあくまでもアルコール依存症になった人間の末路を描くことだ。

その末路が、アルコール依存症をめぐってではなく、癌によって死ぬ羽目になるというのが、腑に落ちないところなのだ。原作者の鴨志田も、癌によって死ぬ羽目になったのだろうか。

そんなわけでこの映画には、かなり緩いと言うか、ボヤケたところがある。そういう中にも、精神病院の描き方には、いささか考えさせるものがある。精神病院を描いた映画といえば、「カッコーの巣の上で」が思い浮かぶが、この映画は、「カッコー」のような批判意識は感じさせない。ただ、病棟の運営がいかにも日本的だと思わせる。患者たちに自治会を作らせて、病院内の秩序を自主的に管理させるところなどがそうだが、こういう運営の仕方は、実際にあるものなのだろうか。「カッコー」を見る限り、病院内の運営は、病院側スタッフが全面的に担っていた。そのために官僚主義的な重苦しさが病院内に立ち込めていたわけだが、この映画の中の精神病院は、患者たちの自治で動いているわけだから、その分明朗なところがある。これが日本の精神病院に共通するシステムだとするなら、かなりユニークだといえるだろう。もしそうだとしたら、日本の精神病院は、開かれた精神病院として、世界に誇ってもよいのではないか。




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