壺齋散人の 映画探検
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篠田正浩「心中天網島」:近松門左衛門の浄瑠璃を映画化



篠田正浩の映画「心中天網島」は、近松門左衛門の同名の浄瑠璃を映画化したものである。この作品は近松の最高傑作でもあり、また心中物の頂点をなすものだ。男女の愛に女同士の義理を絡めた筋書きは、日本の芝居史上でも比類のない完成度を示していると言え、日本人なら誰が見ても感動せざるをえないように出来ている。いわば日本人の心の原風景をそのまま見える形に表現した理想的な芝居と言える。その芝居としての理想的な作品を、篠田は映画という形に転換してみせたわけである。

原作の雰囲気を最大限生かそうという配慮からだと思うが、原作をほぼ忠実に再現している。ただ台詞をそのまま使うわけにはいかないので、そこは近松通として知られる富岡多恵子の協力を得て、現代語に翻案している。だがその場合でも、芝居の雰囲気をそこなわないように、なるべく流暢な、抑揚に富んだ言葉を使わせている。

芝居の雰囲気を損なわないという配慮は、映画の作り方そのものに現れている。この映画は、芝居の作品を映画化した普通のケースとは違って、人形浄瑠璃の舞台をなるべくもとのままに再現しようという意思に貫かれている。そのため、あたかも人形に代わって人間が演じているというような具合に作られているし、人形浄瑠璃に付き物の黒子とか、芝居の約束事を思わせるような工夫が随所に見られる。

芝居の筋書きは、原作をほぼそのまま再現したと言ってよい。まず、芝居の一段目に当たる部分で曽根崎新地の女郎小春と浪花の紙屋治兵衛との恋のいきさつが語られ、二段目に当たる部分で治兵衛の女房おさんと小春の女同士の義理が語られる。そして三段目で命運尽きた小春と治兵衛が心中の死に場所を求めて橋尽くしの道行きを展開し、その果てに網島の大長寺で心中するという筋書きが、ほぼそのまま忠実に再現されている。興味深いのは、小春とおさんの二人を岩下志麻が一人二役で演じていることだが、これは原作の中でも二人が同時に出てくる場面がないから、無理なくできた工夫だと思う。岩下に二役をやらせたことで、治兵衛がこの二人の女を分け隔てなく愛しているという雰囲気がストレートに伝わってくる。

原作でのクライマックスは、一度は小春と離縁することを約束した治兵衛が、なおも小春への未練に引かれて泣いているのを見て、おさんが逆上する場面だった。そこでおさんは、「あんまりじゃ治兵衛殿」と絶叫する。この絶叫が人形浄瑠璃の舞台における圧巻になっているわけでが、映画の中のおさんは、「あんまりじゃ治兵衛殿」とは言わず、「何のうらみでこんな仕打ちをするのか」と夫を責める。彼女が「あんまりじゃ」というのは、実の父親に夫婦の仲を裂かれたときなのである。

浄瑠璃の舞台では、三段目の道行は、何ら筋書きらしいものを持たず、二人の男女が死に場所を求めてさまよう様子が語られるばかりである。彼らのその道行には、この世からあの世への旅、あるいは俗世間から聖なる空間への移動と言ったさまざまな解釈が可能だと思うが、浄瑠璃にしても、この映画にしても、その道行に十分の時間をかけることによって、一組の男女の死にそれなりの意義付けをしようとする意思が伝わってくる。

映画の中の道行の場面は、二人きりになった小春と治兵衛が手に手を取り合って浪花の街をさまよい歩き死に場所を求めるところを描く。これは原作では橋尽くしといって、橋の多い大阪らしく、二人が様々な橋を渡って行くところとして語られるのであるが、映画の中でも、中村吉右衛門演じる治兵衛と岩下志麻演じる小春とが、天満橋と思しき太鼓橋をはじめ、さまざまな橋を渡る姿が映し出される。その果てに二人は大長寺の墓地にたどりつく。その墓地で抱き合いながら、夜明けの鐘に促されるように、二人は心中する。まず小春を治兵衛が短刀で刺し殺し、自分自身は黒子の手を借りながら首を吊って死ぬのである。二人の死体は河原の砂浜の上に並べられる。その姿をアップで映し出しながら映画は終わる、という具合である。

二役を演じた岩下志麻がなかなかよい。小春を演じるときの妖艶な感じと対照的に、おさんを演じるときはいかにも律儀な町人女を自然に演じている。眉を抜き、歯を黒く染めているので、女らしい色気は抑制されている。昔の町人の女房は、こんなふうにして色気を追い払い、自分が律儀な人間であることを、したがって不倫の誘惑には縁がないということを、訴えていたのかもしれない。

中村吉右衛門は決して色男とはいえないが、この映画の中では、女を愛し、女から愛される奇特な色男として描かれている。自分と小春のはかない運命に直面してめそめそと泣くところなどは、実に心憎い表情を見せて、いかにも色男に見える。日本の長い歴史の上でも、徳川時代ほど色男が高く評価された時代はなかったと言われるが、その色男ぶりが昭和の時代に一定の評価を得たというのは、面白い現象だ。何せこの映画は大変な評判を呼んだわけだから。



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