壺齋散人の 映画探検
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太陽のない街:山本薩男



山本薩男の1954年の映画「太陽のない街」は、徳永直の同名の小説を映画化したものだ。原作は1929年に発表され、プロレタリア文学の傑作と評された。1926年におきた共同印刷の労働争議に取材したもので、労働組合側が資本によって追いつめられ敗北してゆくさまを描いている。映画はその小説の筋立てとか雰囲気といったものを、ほぼ忠実に再現していると言える。

映画は、ストライキに立ちあがった労働者とその家族に焦点を当てている。主人公は女労働者の高江(日高澄子)とその恋人荻村(二本柳寛)だ。ふたりとも比較的冷静な見地からストライキにかかわってゆくが、ストライキが長期化していらだった仲間がはねあがりの行動に及ぶ。そこを官権と結託した資本側に付け込まれ、むごい弾圧を蒙ったうえに完全に敗北するというのがおおまかな筋書きだ。その敗北によって荻村は逮捕され、高江は妹を官憲に殺されたうえに、父親が首つり自殺をするという不運に見舞われる。それでも彼女は絶望することがない。かえって仲間の振りかざす赤旗を見て、闘士を掻き立てられるのだ。

と言う具合にこの映画は、労働運動に肩入れして、資本と官憲の弾圧を糾弾するというような仕上げ方になっている。いまではこういう描き方は流行らないが、1950年代の半ばごろまでは日本の労働運動も盛んであり、労使の対決を正面からとりあげたこういう作品にもそれなりの意義があった。だからこの映画は、時代の雰囲気を十二分に反映した、ある種のプロパガンダ映画と言ってもよい。

この映画を通じて浮かび上がってくるのは、当時の日本の労働運動の未熟さであり、官憲と組んだ資本側の狡猾さと残虐さだ。とりわけ暴力団を雇って組合側の指導者格を個別に襲撃させるところなどは、日本の産業組織の前近代的な性格を物語っているし、官憲が資本に肩入れして弾圧に血眼になるところなどは、官制資本主義としての日本の産業の特殊な性格を浮かび上がらせてもいる。官憲の残虐さは、妊娠した女性(高江の妹)を容赦なく拷問し、死に到らせるところに強く現われている。

そんなこともあって原作の小説は、権力から敵視され、徳永はそのために絶版を余儀なくされたほどだった。それほど権力に対する見方があからさまだったからだ。そのあからさまを映画もよく受け継いでいるといえるのではないか。

山本薩男は社会派の旗手として知られ、日本の軍部を強烈に批判した「真空地帯」なども映画化している。この映画はその山本の代表作といえる作品だ。




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