壺齋散人の 映画探検
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篠田正浩「はなれ瞽女おりん」:水上勉の小説を映画化



篠田正弘の作品「はなれ瞽女おりん」は、水上勉の同名の小説を映画化したものである。瞽女とは、盲目の女性芸能民のことで、集団をなして各地を放浪し、門付けなどをして暮らしていた人々だ。彼女らは疑似母親のもとで固く結束し、厳しい掟を自らに課していた。弱い身として生きる知恵でもあるその掟は、もしそれを破る者がいると集団の崩壊につながる恐れがあるので、集団から排除・追放された。追放されて一人になった瞽女をはなれ瞽女と言う。水上勉はそのはなれ瞽女をモチーフにした小説を書き、それを篠田が映画化したわけだ。

この映画の中の瞽女の集団は、北陸の雪深い里を本拠地とし、周辺の町や村を放浪しながら門付け芸能をして暮らしを立てている。その集団に六歳の少女があずけられる。集団の疑似母親はなかなかできた人で、その娘を我が子のようにいつくしみ、芸も仕込んでくれる。ところが娘は年ごろになると、色気が出てきて男出入りが激しくなる。そんな娘を疑似母親は、掟を破ったことを理由に追放してしまう。この集団では、男と寝ることをタブーとしていたのだ。

かくして追放された娘おりん(岩下志摩)は、はなれ瞽女となって各地を単身放浪する。もとより女一人の放浪の旅はたやすいものではない。女一人で生きていくためには、売春もせねばならない。厳しい境遇である。このはなれ瞽女はそんな厳しい境遇に弄ばれながら、最期は岬のはなで野垂れ死にするほかはないのである。

映画は、そのはなれ瞽女のおりんが野垂れ死にをするまでの短い人生を描いている。その短い人生の中には、つらいこともあったかわり、うれしいこともあった。最もうれしかったのは、一人の男(原田芳夫)と出会い、その男との間で愛情を育むことができたことだ。しかし、その男には軍隊を脱走したという過去があり、世間に胸を張って生きていられない事情があった。あまつさえ、おりんが通りがかりの男に強姦されたことに逆上し、殺人事件までおこしてしまう。そんなわけで、この男とのつかの間の恋も無残な結末に終わってしまうのである。

映画は、おりんと男との恋にスポットをあて、かたわらおりんともうひとりのはなれ瞽女(樹木きりん)との二人旅や、かつてのおりんと同じような境遇にある小さな女の子との悲しい出会いなどを淡々と描く。そうした人間同士のつつましい触れ合いが、この映画の見どころとなっているわけだが、おりんの切ない思いとか、貧しい庶民の暮らしぶりとかが、見る者の胸に迫って来る。

内容としてはセンチメンタルの一言につきるかもしれないが、人間の機微が丁寧に描かれ、また美しい自然描写と相俟って、結構質の高い作品になりえている。少なくとも、しばらくは映画の残像が眼の底に焼き付いたままであるような作品である。

なお、「ごぜ」という言葉は、濃尾地方のゴッサン、防長のオゴウサン、薩摩のオゴジョ同様に、女性を呼称する言葉だ。この映画のなかでは、「ごぜさま」とも言われているから、幾分尊重のニュアンスも感じられる。どういういきさつから、女芸能民が「ごぜ」とよばれるようになったかは、よくわからない。



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