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小林正樹「切腹」:落ちぶれた武士の意地



小林正樹の1962年の映画「切腹」は、落ちぶれた浪人の武士としての意地を描いたものだ。徳川時代の初期、寛永年間の話である。この時代は、藩の取りつぶしや改易が頻繁に行われ、その度に主家を失って浪人となる武士が輩出した。かれらはもとより生業もなく、生活の糧を得られないので、困窮のどん底に陥る者が跡を絶たなかった。そこで、諸藩の屋敷の玄関先に出没しては、ゆすり・たかりを働く者も多かった。そこで、食いつめて生きることに絶望し、切腹して死にたいので門先を貸してほしいと申し出、相手を驚かせて金品を巻き上げるようなことが流行っていた。この映画は、そんなゆすりまがいのことをする浪人を主人公にして、武士の意地を描いているのである。

桜田門外の井伊家の上屋敷に一人の浪人が訪ねて来る。仲代達也演じるその浪人は、食いつめて生きることに絶望したので、腹掻っ捌いて死にたいと思うが、ついてはお宅の玄関先を貸してほしいと申し出る。すると三国廉太郎演じる家老が、仲代の言い分を聞いたうえで、先日も同じようなことを申し出た者があったと言って、その者の運命を語って聞かせる。三国は、石浜朗演じるその浪人の話を聞いたうえで、希望通りここで切腹させてやろうといい、庭に切腹の支度を整えたところ、もとよし切腹するつもりのなかったその浪人は、いましばらく猶予を戴きたいと願うが、さんざん悪口を叩かれて、行きがかり上切腹するほかはない事態に追い詰められる。切腹は石浜が帯びていた短刀で行うと言うことになったが、その短刀というのは竹光なのであった。竹光ではまともな切腹はできない。だが歯をくいしばりながら何度も竹光を腹につきたて、ついに絶命するのである。

三国はその話をしたうえで、お主も切腹するつもりかと念を押すが、仲代は切腹する意志に違いはないと答える。そこでいざ切腹という段になって、仲代は自分で解釈人を選ばせてくれといい、その者の名を三人分あげる。しかし三人とも、病気と称して出頭を辞退する。不思議に思った三国に、仲代が世話話を始める。その話とは、自分の女婿である石浜がいかに生活に窮していたか、その挙句妻子が重い病にかかり、切羽詰まったあげく、いま流行の切腹詐欺を働こうと思い立ち、ついに井伊家の者によって嬲り殺しにされたこと。自分はその復讐として、石浜を嬲り殺した三人を成敗し、それぞれ武士の魂というべき髷を奪い取った。そう言って仲代はそれら三人の髷を叩きつけ、むざむざ切腹するわけにはいかぬと叫んで、井伊家の家来たちに襲い掛かるのである。

仲代は古武士としての意地のほかに、腕も滅法強く、井伊家の家臣たちを次々となぎ倒していくのであるが、なにしろ多勢に無勢、最後には飛び道具迄出されてあえなく滅亡の義となる。しかし相手に斬られるわけにはいかぬとばかり、自分で腹を掻っ捌いて死ぬのである。

この事件ののち、家老の三国は、髷を着られた三人を切腹させたうえで、その者らを含む死んだ家来たちを病死と見せかけ、また仲代には望みどおり切腹させてやったと偽って発表することで、藩としての体面を保ったということになっている。

こんなわけでこの映画は、武士の意地とか名誉かいったものを正面から取り上げて描いている。石浜の切腹シーンは観客にやるせない思いをさせるだろうし、また仲代の命をかけた戦いぶりには、誰もが共感せずにはいられないだろうと思う。めずらしいタイプの映画である。小林正樹には、こういう形の、人間としての正義に拘るようなところが窺える。



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