壺齋散人の 映画探検
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太平洋の鷲:本多猪四郎



本多猪四郎の戦争映画「太平洋の鷲」は、山本五十六の軍人としての半生を描いたものだ。1953年に公開されたところに、歴史的な意義がある。戦後日本映画界は、米占領政権の検閲方針のもとで、チャンバラ映画や戦争映画の公開を禁止されていた。日本側の立場から日本の戦勝を描くことは固く禁じられていたし、ましてや軍人を讃美するような映画はご法度だった。それが1952年の講和・独立を契機に、解禁となった。この映画はそうした時流に乗って、日本の「偉大な」軍人山本五十六を、正面から取りあげたのである。山本五十六といえば、真珠湾攻撃を成功させた偉大な軍人であり、日本人にとっては、東郷平八郎と並ぶ軍神のような存在だった。戦後敗戦への反省が深まるなかで、無能な軍人ばかりいたおかげで日本は負けたのだというような言説もあったが、そういう中で山本五十六は、唯一といってよいほど、全国民から敬慕される軍人となったのである。

映画は、真珠湾攻撃の成功、ミッドウェー作戦の失敗、ガダルカナル方面での敗退、そして山本五十六の戦死を描く。この映画の中の山本五十六は、単なる軍人としてではなく、一人の人間として偉大であったというふうに描かれている。かれは思慮深く、対米英戦争につながる日独伊三国同盟に一貫して反対したことや、いざ対米改選が避けられなくなるや、つべこべとはいわず、軍人として潔く戦う。もっとも勝ち戦だとは思っていない。それでも一年くらいは持ちこたえられるだろうから、その間に日本が戦勝をあげ、それを以てアメリカと講和してほしいという願いをもっていた。しかし日本の無能な指導者たち、特に陸軍閥は、緒戦の勝利に有頂天になって、講話など見向きもしない。おかげで日本は、講話のきっかけを失い、ずるずると敗戦への道を転げ落ちて行った、というふうに描かれている。

要するに、日本の戦争指導者のなかで、唯一理性的であった軍人、それが山本五十六だったというような位置付けなのである。その山本五十六を、大河内伝次郎が演じている。この人は、丹下左膳をやらせると天下一品だが、山本五十六にも似合っている。冷静沈着で、いざとなったら勇猛果敢。そういうところに部下も惚れて、彼を取り巻く集団は、軍人集団というより。カルト集団を思わせるくらいである。特に戦局が厳しくなって以降は、負けるとわかった戦を戦い、死を待つだけという状態になって、山本五十六と部下との絆は異常に強いものになった。その絆は単に精神的な絆というものをこえて、宗教的な一体感を思わせる。なにしろ死を待つばかりという集団のことだから、かれらの精神的な一体感は、宗教的なエクスタシーに通じるものを感じさせるのである。

ミッドウェー作戦は、山本五十六のミスリードだったというふうに描かれている。山本は、開戦後一年はもたせると豪語していたが、この作戦に失敗したおかげで、わずか半年にして、日本は敗戦への道に転じたのであった。以後日本軍がじり貧状態となり、ひたすら敗戦にむかって転がって行った過程は、歴史上周知の事実である。山本五十六自身は、昭和18年4月18日に、ブーゲンヴィル上空で撃墜されたわけだが、その頃には、日本海軍の動向は詳細に至るまで米軍に察知されており、山本は米軍に狙い撃ちされた形である。そのさいの山本五十六の無念な表情を映し出しながら、映画は終る。

この映画には、特撮の円谷英二が協力しており、戦闘機による戦闘場面が生々しく描かれている。本多と円谷のコンビは、翌年「ゴジラ」を作るのである。




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