壺齋散人の 映画探検
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北野武「その男、凶暴につき」:正当な暴力



1989年の映画「その男、凶暴につき」は、北野武の監督としてのデビュー作である。北野武といえば暴力映画といったイメージが定着しているが、この映画で早くもそのイメージが前面に出ている。しかし、後の彼の暴力映画と比較したら、やや穏健な印象を与える。というのは、この映画の中の暴力は、それなりの原因があるからだ。原因のある暴力は、表面の陰惨性のわりには暴力的な印象を強く与えない。本当に陰惨な暴力とは、理由もなしに行使される暴力だ。この映画の中の暴力は、後の北野映画の中でのように、理由もなく行使される陰惨な暴力ではなく、ある意味正当な暴力と言ってもよい。そこがこの映画を、多少とも穏健に見えさせている要因である。

この映画の主人公北野武は警察官である。警察官であるからそんな無茶な暴力は振るわない。彼の振るう暴力は、相手の暴力性に比例していると言ってよい。どうしようもない非情な暴力に対してはこちらも非情な暴力を以て対抗するし、不良の子どもやチンピラの暴力に対してはそれなりに小さな暴力をもって対抗する。どちらにしても暴力は行使されるのだが、その意味で「その男、凶暴につき」とも呼ばれるのだが、その暴力には人間的な要素が認められる。そこが後の北野先品における暴力とは根本的に違うところだ。

暴力がテーマであるから、全編これ暴力シーンの連続といった外観を呈している。映画の筋書きは、そうした暴力シーンを引き出すための伏線の連続となっている。その暴力シーンはやがて、特定の麻薬密売組織との対抗に集約されてゆく。主人公の北野刑事はその密売組織と自分の命をかけて戦い、最後には死んでいくのである。

北野刑事がこの麻薬組織に立ち向かう決意をしたのは、刑事という職業意識に基づいたということもあるが、日頃親しくしていた仲間の警察官がその組織によって殺されたということもある。その組織は警察官が自殺したようにみせかけて殺し、警察署の幹部もそれに騙されるのだが、北野刑事だけは、真実を見抜き、復讐をしてやろうと決意する。

ところがその組織は強大な力を持っていて、一筋縄ではいかない。そこで北野刑事も手荒なことをせざるを得ないのだが、手荒さがあまり度が過ぎて、警察をクビになってしまう。それでも北野元刑事はあきらめず、一民間人になったあとでも、密売ルートから拳銃を手に入れ、それをもって強大な敵に立ち向かう。

その敵は、北野元刑事の知恵遅れの妹を誘拐して集団でレープしたりする。北野刑事を挑発しているようなのだ。その挑発に乗るかのように北野元刑事は、次々と麻薬密売組織のメンバーを殺し、最後に最強の敵と一対一で戦うことになる。北野元刑事はその戦いに勝利し、相手を銃殺する。その際にどういうわけか、捉われていた自分の妹まで撃ち殺してしまう。その場面がこの映画の中の、唯一非人間的な暴力と言える。もっとも北野元刑事はその直後に第三の男によって銃殺されてしまう。かれはそのことを予見していて、自分が死んだ後の妹の身の上を考えて、彼女を殺したのだと、思われないでもない。

というわけでこの映画は、理由のある暴力をテーマにした、正統暴力映画といってもよいようだ。

なお映画の最後で、北野刑事とコンビを組んでいた若い刑事が、代替わりした麻薬密売組織とつるんで、麻薬密売の片棒を担ごうと決意するシーンが出て来るが、これがどういう意味なのか、画面からわからない。警察の腐敗体質を北野武なりにからかっているのか、それともかつての相棒が北野刑事の復讐を目的に組織に近づいたのか。なんともいえないところが、また面白い。



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