壺齋散人の 映画探検
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北野武「アキレスと亀」:画家たけし



2008年の映画「アキレスと亀」は、北野武の作品としてはめずらしく、暴力シーンが一切出てこない。ただひたすら絵を描くシーンの連続だ。というのもこの映画は、一人の絵描きの半生を描いたものなのだ。北野武自身絵を描くのが好きだし、また結構うまい絵を描くようだが、そうした絵に対する自分自身のこだわりをこの映画に込めたということのようである。

この映画は、小学生低学年の子供時代から、中年を越えて初老に至る時期までの、ある人間の半生を描いているのだが、その一人の人物を三人の俳優が演じている。子ども時代を子役が演じるのは当然のことといえるが、青年時代にもうひとり別の俳優が演じ、北野武は中年時代以降を演じることになっている。中年時代の武が二枚目と言えないのは仕方がないとして、青年時代の俳優もうだつの上がらない顔つきをしている。これは青年時代をイケメンもどきに演じさせたら、中年時代の武との間で強い落差が生じて、シラケたことになりかねないという判断に基づいたことのようである。

この映画の主人公は、絵を描くことのほかには何も興味を持つことができない。そのことで少年時代にはまわりの大人から怒られっぱなしだし、青年時代にもうだつのあがらない生き方をしている。しかしどういうわけか女にはもてる。生活力のなさが女の母性をくすぐるようなのだ。

しかし中年になっても生活力がなく、しかも世間の物笑いの種になったために、一人娘に愛想をつかされたあげく、妻にも逃げられてしまう。それでもめげずに絵を描き続けるのだが、誰にも評価されない。この男は自分で自分の絵に自信が持てないで、他人の目に左右されやすいのだが、その他人の眼と言うのが無責任なもので、その無責任な指摘をうのみにして、男は失敗ばかりしている。

そんなわけで、男はいつ果てるともない修行に耐え続ける。そのうち家出をした娘に金をせびったり、その金をやくざにまきあげられたりしたあげくに、何を思ったか、小屋の中で藁に火をつけ、その炎の様子をスケッチしているうちに、火に包まれて死に損なう。

いまや天涯孤独になった男は、隅田川のテラスでホームレスとなり、さびて蓋の部分が欠けたコカ・コーラの缶に200.000円の値札をかけて売ろうともするのだが、そのコカ・コーラの缶の買い手が現れる。別れた妻だ。その別れた妻が男を許し、これから二人だけの老年を過ごそうと言ってくれる。一人ぼっちになった男は、これでやっとまともな人生に戻ることができる、というような筋書きの映画だ。

このように筋書き自体は他愛ないのだが、絵に打ち込む人間の執念のようなものは伝わって来る。映画の見どころは、その執念を様々な場面で表現するところにあるが、それが武一流のドタバタギャクからなっているので、観客はやはり、これを武の作品の一つとして見ることができる。

題名の「アキレスと亀」は、やっと自分の理想に追いついたという意味のようである。その場合の自分の理想とは、絵描きとして成功することではなく、一人の人間として成功するということのようだ。男にとってのその成功とは、ささやかな愛を育むということにあるようである。



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