壺齋散人の 映画探検
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写楽:篠田正浩の映画



篠田正浩の1995年の映画「写楽」は、俳優のフランキー堺が企画総指揮にあたり、自ら脚本を書いた作品。だからフランキー堺の映画道楽に篠田が付き合ったともいえる。篠田は例によって女房の岩下志摩と一緒になって、フランキー堺の道楽の場にはせ参じたわけである。

そうしたわけで、この映画はフランキー堺の趣味の産物である。テーマとなった写楽には、いまでもわからぬところが付きまとっているが、その曖昧さをたてにとって、フランキーはかなり勝手な写楽像を提示している。その写楽像とは、大道絵描きの子どもに生まれ、長じては歌舞伎の端役を努めた一人のしがない男が、たまたま絵の才能を認められて、役者の大首絵を描いたということになっている。

実際には、写楽の実像は、阿波藩の能役者斎藤十郎兵衛であると広く認められている。その見方は、この映画が作られた1995年にはすでに定説になっていたのであるから、フランキーによる再解釈は根拠に乏しいということになるが、フランキーはそんなことには気をかけず、自分勝手な写楽像を提示したわけである。もっとも、通説は侮りがたいと思ったか、阿波藩の能役斎藤十郎兵衛も芝居好きの素人画家として登場させてはいる。

写楽が絵師として活躍したのは、寛政六年(1794)から翌年へかけてのわずか10か月のことである。映画はその期間における写楽の絵師としての活躍よりも、その前後の生き方に重点を置いて描いている。写楽は、絵師としてよりも一人のお人よしの人間として描かれている。そのお人よしのために、芝居の舞台の上で大けがをしたり、好きな女と結ばれなくなったりする。写楽にかかわりの深い人間として、版元の蔦屋重三郎や同時代の著名人が出てくる。画家としては歌麿や北斎、浮世絵師の一九、それに馬琴や蜀山人といったところだ。それらの人間の間で、複雑な駆け引きが演じられる。歌麿は絵師としての立場からは写楽に対抗心をもち、また恋敵でもある。この映画の中の歌麿は小悪人として描かれている。

また、岩下志摩は大道芸人の一座を率いる女将として、歌麿に恋心を抱くばかりか、手下の前で写楽とむつみあい、はずかしげもなくよがり声をあげる。岩下志摩のよがり声は年季が入っていて、年増の色気を感じさせる。




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