壺齋散人の 映画探検
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ハワイ・マレー沖海戦:山本嘉次郎の戦意高揚映画



戦時中にはおびただしい数の戦意高揚映画がつくられたが、そのほとんどは幼稚な日本軍礼賛であったり、逆に兵士の困難な境遇ばかりを強調する厭戦映画のようなもので、本当の意味での戦意高揚映画はなかなか作られなかった。そんな中で山本嘉次郎が1942年に作った「ハワイ・マレー沖海戦」は、傑作と言ってよい作品である。傑作というのは、当時の海軍の様子が、飾らないタッチで詳しく紹介されており、そのドキュメンタリータッチな描き方が、日本史の一こまを如実に表現し得ているという意味である。

この映画は、ハワイ・マレー沖海戦の勝利を記念して、一年後に制作公開された。海軍が宣伝の目的で介入している。当時は、ミッドウェー海戦の敗北などを転機に、日本の敗色が次第に明らかになりつつある時代だったが、国民には真実は知らされず、日本はいまだに勝利の大進撃を続けていると思わされていた。そういう事情の中で、太平洋戦争の緒戦の勝利を取り上げたこの映画は、国民の戦意高揚を図るとともに、戦争への協力を呼び掛けることを目的としていた。だが海軍は、自分の都合で映画を作らせたにかかわらず、軍事機密を理由に、日本側の艦船を映画人に公開しないなど、非協力的な姿勢が目立ったと言う。そんなこともあってこの映画は、空母の構造をアメリカの空母の写真をもとに再現するなど、いまからみれば漫画のようなことを強いられたという。

テーマは、海軍軍人の生き方である。その生き方を国民に示すことで、軍人に対する国民の尊敬を高め、戦争に積極的に協力させようとする意図が明らかに見られる。彼らは日ごろの厳しい訓練に耐えるとともに、精神力を養い、仲間と協力し合い、上官の命令には従い、以て一丸となって敵と戦い、これを粉砕することで、日本の国土と日本国民の命を守っている、そんな軍人たちに国民は感謝すべきであり、彼らの苦労に報いるために、自分のできることをすべきである、というような海軍の意図が露骨に伝わってくる。

それでもこの映画が傑作と言えるのは、土浦の予科練での少年兵の訓練の様子や、彼らが即業後配属された航空隊での生態がリアルに描かれていることにある。特に予科練の訓練の様子は、りりしい少年たちが、お国のために命をささげて戦う上での精神力を鍛える場として描かれている。この映画の主人公は、おそらく高等小学校卒業と同時に予科練に入ったのだろう。昭和十二年に予科練に入隊し、昭和十六年の真珠湾攻撃の時には二十歳ということになっているから、十五か十六の時に入隊しているわけである。彼の入隊の理由は単純だ。飛行機乗りがかっこよく見えたのだ。そんな少年を送り出す母親は、この子はもううちの子ではない、と言うのだが、それは天子様に差し上げたという意味なのだろう。

その天子様を予科練の少年たちは大元帥陛下と言っている。大元帥陛下の命令は至上である。そして上官の命令はこの大元帥陛下の命令を踏まえたもので、上官の命令に従うことは大元帥陛下の命令に従うのと同じことを意味する。そういう主張がこの映画の中では執拗に強調されるのだ。

予科練の訓練の中心は精神力の涵養だ。あらゆる訓練がこの目的にささげられる。スポーツも例外ではない。ボート、ランニング、相撲、ラグビーなど、さまざまなスポーツが精神力を鍛えるための手段となる。スポーツとはいえ勝負に負けることは精神力が足りないからだと言って、負けたものは勝つまで勝負を続けることを強要される。こういう教育は、ただ単に無駄に疲れさせるだけだと思うのだが、この当時の指導者たちはまじめにそう信じて少年たちをしごいていたのだろう。

クライマックスは、連合艦隊による真珠湾基地の奇襲と、シンガポール沖でのイギリス艦隊の撃滅だ。連合艦隊司令官が、日露戦争の際の有名な言葉「皇国の興廃この一戦にあり」を引用して、出撃を命じると、ハワイ沖の空母群から飛び立った飛行機が真珠湾上空を襲い、米艦隊の艦船を次々と沈めてゆくさまが描かれる。この辺は、海軍の過剰な自己意識が働いているところだ。

一方、シンガポール沖の奇襲では、仏印の海軍基地を飛び立った飛行機が、帰りの燃料を考えずに敵機の攻撃を続けよと命じられ、命がけで敵に向かう。そのかいあって日本軍は英軍の主力艦プリンス・オヴ・ウェールズとレパルスの撃沈に成功する。映画はその成功を強調しながら、軍艦マーチの勇ましいリズムを轟かせながら終わるのである。

このようにこの映画は、海軍の自画自賛と言ってもよい。海軍はミッドウェーで敗北した後、対米戦での戦局が次第に不利になってゆくのを知っていたはずなのだが、この映画からは、そのような事情は伝わってこない。日本軍はいまだに勝利を続けており、海軍はその最前線で活躍しているといった、勇ましい主張だけが伝わってくる。そういう点では、戦意高揚映画というより、海軍の宣伝を目的としたプロパガンダ映画といってもよい。それでも傑作になりえているのは、上述の事情に加えて、山本以下のスタッフの苦労のたまものだと言えるのではないか。




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