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私は貝になりたい:BC級戦犯死刑囚を描く



「私は貝になりたい」は、1958年にフランキー堺を主演にテレビドラマ化され大きな反響を呼んだものを、翌年映画化したものである。橋本忍が監督を、フランキー堺が主演をつとめた。テーマはBC級戦犯死刑囚の生き方と死に方をめぐるものである。

BC級戦犯というのは、人道に対する罪と通常の戦争犯罪とをさして言うが、実際に裁判の対象となったのは、日本やドイツ、イタリアなど敗戦国の軍人たちだった。日本の場合には、(林博史の研究によれば)約5700人が裁かれ、そのうち約1000人が死刑判決を受けている(この数字にはソ連によるものを含まない)。海外で行われた裁判もあるし、日本国内で占領当局によって行われた裁判もある。その特徴を単純化して言うと、裁かれたもののほとんどは下士官以下の下級軍人及び下級将校で、作戦の責任者である上級将校は少ないという。

この映画が取り上げている裁判の事例は、国内で発生した米軍捕虜殺害事件であり、裁かれたものとしては、殺害に直接かかわった下級兵士のほか、作戦に責任をもつ上級将校も絞首刑を宣告されている。この事件は実際に起きたことらしい。それに関係した将校が残した手記をもとにドラマ化したということらしいが、どこまで真実を踏まえているのかかならずしも明らかではないようだ。

林博史は、一等兵以下の下級軍人が上官の命令に従っただけの理由で有罪判決を受けた事例はないと言っている。ところがこのドラマでは、フランキー堺演じる新兵が、上官の命令にしたがって米軍将校を殺害したことを理由に絞首刑の有罪判決を受けている。しかし裁く方としては、この兵士は自分の意思で捕虜を殺害したというふうに法的に構成し、有罪判決を下したということになっている。そこに裁く側と裁かれる側との間の深い溝がある。

この映画を見る限りでは、フランキー堺演じる下級兵士は、たしかに米軍捕虜を剣で突き刺しはしたが、それは上官の命令に従ったまでのことで、自分の意思からしたことではない。上官の命令は天皇陛下の命令と同じことであるから、一国民としては絶対に逆らえない。ということは、自分には自由な意思は存在しなかったのであり、ただ一兵士として上官すなわち天皇の命令に受動的に従ったまでのことである。したがって自分には責任はない。裁かれるべきは自分のような下級兵士ではなく、命令を発した上官であり、その背後にある天皇すなわち国家である、というような考え方が強く伝わってくるようにドラマは作られている。

つまりこのドラマは、捕虜殺害に直接手を出した下級兵士は、自分の意思からそれを行ったわけではなく、命令にしたがったまでのことで、したがって大きな目でみれば、彼もまた戦争の犠牲者なのだということになる。日本の映画ドラマが戦争を描く際には、日本側の加害責任に触れることはほとんどないと言ってよい。捕虜殺害のような、通常の戦争犯罪として弁解の余地のないことがらについても、それに直接手を出したものの加害責任を問おうとはせずに、あたかも戦争の犠牲者、つまり被害者のように描いている。こういう立場は、敗戦国のなかでも日本に特有のことであって、ドイツやイタリアには見られない。

こんなわけでこの映画には、倫理的な責任を突き詰めて考えようという姿勢がまったく感じられない。倫理的な視点がないために、フランキー堺演じる下級兵士が何故絞首刑にならねばならなかったのか、そこのところがあいまいなままだし、彼が死刑を前に煩悶する姿にも、人間としての尊厳が感じられない。自分の責任を深く考えることがなく、あたかも自分は戦争被害者のような気持ちでいるために、自分の成した行為の意味を十分に理解できないわけで、したがって彼が死刑になるのは、災厄のようなもので、そこに何らかの意味を感じ取るということがない。そういう死は、犬死と言ってよい。

「私は貝になりたい」という言葉は、主人公の死刑囚が最後に発する言葉だ。この言葉によって彼は、もう二度とこんな理不尽な目にはあいたくないと言っているわけである。つまり彼は死ぬまで、自分のなした行為の意味が理解できないでいるわけだ。

この映画は基本的には反戦劇と言ってよいのだろうが、ほかのほとんどの反戦劇同様、兵士やその家族のこうむった犠牲をあたかも戦争の被害者のように描き、彼らの加害者としての側面には全く目をつぶっていると言う点で、典型的な日本的反戦映画といってよいのではないか。捕虜虐殺というわかりやすい事柄をテーマにしながら、虐殺をめぐる倫理的問題には目をつぶり、それに手を下した一兵士をあたかも戦争の犠牲者のように描く、というのは、かなり異様な姿勢と言わねばならぬだろう。




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