壺齋散人の 映画探検
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深作欣二「仁義なき戦い 代理戦争」



仁義なき戦いシリーズの第三作「代理戦争」は、広島のやくざ同士の対立が神戸に本拠を置く広域暴力団同士の抗争に巻き込まれ、その代理戦争の観を呈していく有様を描く。当時は米ソの冷戦時代であり、朝鮮戦争以来世界各地で米ソの代理戦争とも言うべき小競り合いが起こっていた。この映画はそれをイメージしたものである。神戸に根拠を置く二つの広域暴力団を米ソにたとえ、広島の田舎やくざが広域暴力団の傀儡となって戦いあう様を、代理戦争と言ったわけである。

広島のやくざ同士の対立は、広島最大のやくざ組織村岡組の跡目相続をめぐって生じた。後継者と目されていた若頭が殺された後、跡目を継いだのは呉のやくざ山守(金子信雄)だった。これを面白く思わない村岡の舎弟打本(加藤武)が、神戸の広域暴力団明石組の力を背景に失地を挽回しようとする。その際に、明石組とつながりのある広能(菅原文太)に取り持ってくれるように頼む。広能は若い頃に全国を渡り歩いている間、方々で杯を交し、広いネットワークを持っているのである。広能は、打本とも杯を交し合うが、一方で山守ともよりを戻す。これは広能自身の意思によるものではなかったが、おかげで広能は、打本と山守の対立に巻き込まれて、股割きのような状態に陥っていくのである。

打本が明石組と結んで勢力を伸ばすのを見た山守は、明石組と対立している神和会と結ぼうとする。広能の目には、神和会よりも明石組のほうが強大に映る。だから、神和会と結んで明石組と対立するのは、自殺行為のように思える。しかし、山守にはそんなことはわからない。彼は、第一作のときと同様、目先のことばかりしか目に入らぬ肝の小さな人間として描かれている。とりあえずのライバルに勝つことだけで頭がいっぱいになっており、その先のことが見えないのだ。そのライバルの打本にしてからが、臆病で肝の据わらぬ人間として描かれている。こんな人間同士の争いであるから、いわば犬の喧嘩のようなもので、そんなものにまともにつきあってはおれん、というのが広能の率直な気持ちなのである。広能にとって本当に怖いのは、明石組なのだ。

打本と山守の対立は、最初は広島の中に止まっていた。しかしだんだんとエスカレートしていき、広島をはみ出て各地で抗争を繰り返すようになり、それに伴って明石組も前面に出てくるようになる。というのも、緒戦で山守に破れ、指までつめて謝った打本が、明石組の援助を求めたからだ。明石組が前面に出てくるのを見た広能は、打本には愛想を突かして杯を返したが、明石組と面と向かって対立するのは得策ではないと判断する。しかし緒戦に勝ってのぼせ上がっている山守には、的確な情勢判断ができない。そんな山守に対して広能は次第に愛想をつかしていく。しかし、なかなか反旗を翻す気持ちにはならない。「親の首をかくようなまねはしない」というのが、やくざの心意気だと固く思っているからだ。

だが堪忍袋にも切れるときがある。山守の行動に疑問を抱く広能は、山守に付き合っていては身の破滅につながると思うようになる。自分の安全保障の面から言って、ここは明石組との対立を避けねばならない。しかし、情勢は広能の思惑を超えて進んでいく。やがて、代理戦争の域を超えて、巨大な勢力との全面戦争へと発展していくに違いない。そんな予感を感じさせながら映画はとりあえず終わるのである。

この映画の中では、やくざ同士の殺し合いが、これでもか、これでもか、という具合に描かれる。その点は、第一作の延長みたいなところがある。第二作では、北王子欣也演じる下っ端やくざの生き方に焦点があっていたが、この映画では再びやくざの集団的な抗争が表に出ている。

菅原文太演じる広能もよく暴力を振るう。手下がへまを犯すと、棒切れでとことん叩きのめす。無論殺しはしないのだが、徹底的に痛めつけるのである。所謂半殺しだ。この映画では、小林明が出てくるが、彼が演じるやくざは暴力を振るわない。というか暴力を振るう場面を演じない。このやくざは広能以上に仁義に厚く、親の山守がいくら馬鹿でも、とことん仁義を尽くすつもりでいる。そんな男に向かって広能は、「親父が馬鹿なら、こちらも自分で安全保障をせにゃならぬ」と吐く。実際広能は、とことん山守に愛想をつかし、山守を殺そうとまで思うようになるのである。

映画の中の明石組は、山口組がモデルで、丹波哲郎演じる組長は、三代目の田岡一雄だという。映画では、田岡をはばかってか、せりふを言わせず、イメージだけを映し出していた。



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