壺齋散人の 映画探検
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降旗康男の映画:作品の鑑賞と批評


降旗康男は、高倉健と組んで渋い映画を作り続けた。高倉健は、降旗康男を尊敬していて、すべてのオファーに対して降旗康男を優先したと言われる。降旗のほうでも高倉を高く評価していた。お互いに気が合ったのだろう。だから、降旗康男の演出で高倉健が演じている映画を見ると、良い映画を見たという実感が、体の底から湧いてくるような気がする。降籏も高倉も寡黙なことで知られるが、その寡黙な二人が、日本人とはなにかということについて、身体感覚を通じて訴えてくるからだと思う。

降籏康男は1960年代に東映に入社し、やくざ映画ばかり作らされていた。高倉健とは、そうしたやくざ映画でコンビを組んだことで、生涯の付き合いに発展していったようだ。高倉は、1977年の「八甲田山死の彷徨」と「幸せの黄色いハンカチ」で、単なるやくざ映画のヒーローを超えて、俳優として一皮むけ、人気も一層高まって日本を代表する大スターになったが、引き続き降籏との関係を重視して、降籏作品に出続けた。

二人のコンビでの最初の記念すべき作品は1981年の「駅」だろう。この作品での高倉は、寡黙で律儀な警察官を演じたものだが、そういった高倉のイメージは、多くの日本人に共感をもって迎えられた。男はだまって勝負するというのは、やくざ映画以来の高倉のイメージでもあったわけだが、そのイメージをもっと拡大した形で、男高倉のイメージを広げたのが、この映画だったわけだ。

降籏康男の次の作品「居酒屋兆次」は、黒澤明からのオファーを断ってまで高倉が出たもので、高倉の降籏に対しての義理堅さを物語るものだ。義理堅いと言えば高倉は、この映画の主人公兆次が、当時人気のあった野球選手村田兆次と同じ名であることから、わざわざ村田に挨拶したという逸話がある。

「夜叉」、「あ・うん」などでコンビを組んだあと、1999年の「鉄道員」に至って、降籏・高倉コンビは絶頂期に達したといえる。この作品は、日本人のひとつの典型を描いたもので、人々は高倉の姿に日本の男の理想像をみとめたのではないか。そうした理想像は、次の作品「ほたる」でも追及された。これは知覧の特攻部隊をテーマにしたもので、高倉演じる特攻の生き残りと、その妻との夫婦愛が中心だが、それと並んで日本人である高倉と同僚の朝鮮人との触れ合いも描かれている。この当時は日韓和解が進んでいたという事情もあって、こういう設定もそれなりに受け入れられたが、反韓の空気が充満しているいまでは、反発を買うかもしれない。

また、中国を代表する映画監督張芸謀が、高倉の演技に惚れ込んで、高倉を主演にした映画を日中共同で作りたいと言ってきたとき、降籏康男は日本側の共同監督を買って出た。それでできたのが「単騎、千里を走る」だが、これも当時の日中融和を反映した出来ごとで、今日ではむつかしいかもしれない。

2012年の作品「あなたへ」は、高倉の遺作となったものだ。高倉が死んだ後、降籏は、「少年H」のような問題作を作っている。これはある種の反戦映画で、日頃寡黙な降籏が、自分の思いをぶつけたものだ。降籏にはほかに「赤い月」のような反戦映画もある。ここではそんな降旗康男の映画作品を鑑賞し、適宜批評を加えることとする。



駅 STATION:降籏康男
居酒屋兆治:降籏康男
あ・うん:降籏康男
鉄道員:降旗康男
ホタル:降旗康男
赤い月:降旗康男
単騎、千里を走る:張芸謀・降旗康男
あなたへ:降旗康男
少年H:降旗康男


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