壺齋散人の 映画探検 |
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森田芳光の1983年の映画「家族ゲーム」は、変容しつつあった日本の家族関係をシニカルなタッチで描いたものだ。1983年といえば、日本は高度成長を達成して分厚い中間層が形成されていた。そうした中間層は、核家族として団地に住まい、子供の教育が最大の目標だった。教育熱心なあまり、親が子どもの反発をくらいバットで叩き殺されるという事件も起った。この映画の中でも、子どもにバットで殺されたくはないが、それでも子どもの教育に熱心にならざるを得ない親と、比較的素直で親の期待に応えようとする子どもが描かれている。 「家族ゲーム」という題名が暗示するように、この映画で描かれた家族は、あまり健全とはいえない。両親は子どもにたいして強い期待を抱いているが、自分自身では子どもをまともに教育する能力がない。それで家庭教師を雇って子どもの面倒を見てもらおうとするが、彼らは子どもをしつける能力にも欠けているので、その方面まで家庭教師に期待する。金を払って子どもの教育を丸投げしようとするようなものである。今風の言葉で言えば、親業のアウトソーシングということになろうか。 この映画が作られた時代には、そうした自信のない親たちが沢山登場していた。なにしろ伝統的な家族関係が解体して、夫婦と少数(多くの場合二人)の子どもたちとで核家族を作り、団地の孤立した空間の中で、自分たちだけであらたな家族関係を築いていかなければならない。なかにはどうやって家族関係を営んでいったらよいか、途方にくれる親が出てきても不思議ではない。この映画の中の親たちもそうした自信のない親たちなのだ。 伊丹十三と由紀さおり演じる夫婦が、二人の子どもとともに、江東区の臨海地帯にあるらしい団地で暮らしている。上の子はなんとか一流高校に入れたが、下の子は成績が悪くて、親の頭を悩ませている。これまで家庭教師を五人も雇ったが、全く成果が上がらなかった。そこで松田優作演じる大学生が六人目の家庭教師として雇われる。松田自身はどうやら二流大学の学生らしいが、子どもへの接し方はわきまえていて、やる気のない子にやる気を起こさせ、ついには難関高校に合格させる。 親は当然喜んで、いまはやる気をなくして一流大学への進学が危うくなった上の子の面倒も見て欲しいという。下の子との付き合いにうんざりしていた松田は、出来の悪い子はお前たちの鏡だといわんばかりに、ケツをまくって消え去ってしまう。松田が去った後、子どもたちはまた以前の状態にもどり、学校へもろくに行かずにのらくらとした生活に戻る。それを見る母親の由紀さおりには、何のすべもないのだ。 こんなわけでこの映画は、自信のない親と出来損ないの子どもからなる不幸な核家族をテーマにしているのであるが、こうした家族は当時の日本では、典型的な家族のあり方として定着しつつあったわけである。この家族と同じような家族が日本中にあふれつつあった。だからこそこの映画は、非常な共感を呼びえたのである。 いまは塾が普及したせいで、この映画で描かれたような家庭教師は少なくなったんではないか。昔の親は家庭教師を雇うと、その人を大事にして、家族に準じた扱いをした。仕事が終わると一緒に食事をするのはごく普通だったと思う。この映画の中でも家庭教師の松田は、家族の夕食につき合わされている。松田は当然のことのように、出された料理を食っている。この家族には面白いところがあって、細長い机に横一列に座って食事をする。家庭教師の松田は、家族の真ん中に陣取って、食事をするわけだ。このシーンは、新しい家族の人間関係を象徴するものとして、当時話題になったものだ。 松田は、クールな表情が印象的な俳優で、当時人気者だった。この映画の中でも、クールな表情を見せる一方、中学生相手に友だちのような付き合いかたもできるクダケた兄貴といった役柄を演じている。母親を演じた由紀さおりは、もともと歌手で、映画に出たのはこれがはじめではないか。この当時三十代半ばだったはずだが、中年に達した女の悲哀のようなものをよく演じている。伊丹のとぼけぶりは相変わらずである。 |
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