壺齋散人の 映画探検 |
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森田芳光の1985年の映画「それから」は、漱石の同名の小説を映画化したものだ。この小説は日本の近代文学史上初めての大恋愛小説と言ってよい。恋愛小説に「大」の字がつくのは、そこに描かれた恋愛が、男女ふたりだけの出来事ではなく、彼らを取り巻く社会を背景にしての、というより社会全体を敵に回しての、激しい恋愛を描いているためだ。漱石がこの小説で描いた男女の愛とは、当時の社会にあっては許されない愛だった。夫を持つ女を、一人の男が略奪する、いまでいう不倫の愛である。当時の言葉で言えば姦通である。姦通はとりわけ女にとって危険な行為であった。その危険な行為を、女は男の愛にほだされてあえて犯し、男は女が不幸になるのを判っていながら誘惑する。そういう愛を漱石は、近松の時代以来の日本の文芸の伝統とは違った形で、つまり近代的な装いを持たせて描いたわけだ。姦通というテーマは古いものだが、それに近代的な意味合いでの恋愛という形をとらせることで、日本にも始めて本格的な恋愛小説が成立した、そう言えるのではないか。 そんな漱石の歴史的な恋愛小説を、1985年になって森田が映画化したわけだ。しかもこの歴史的な作品をほとんど原作どおりに映画化している。原作と相違するのは、冒頭の代助が床から出る場面で、原作にある椿の花が出てこないこと、父親が薦める娘との最初の見合いの場面が、原作では芝居になっているのに、映画では洋式の音楽会になっていること、代助が原作以上に頻繁に三千代の家を訪ねるところくらいだ。それ以外は、筋の運び方も話の雰囲気も原作に忠実である。それ故現代の観客たちは、これを歴史物を見るように見るかといえば、そうでもなく、案外同時代の話を聞かされているように感じる。ということは、この映画に描かれた世界と、1985年の日本の世界とが、大した違和感を感じさせないほどに似通っているということか。 だが印象としては、この映画に描かれた男女の愛は、非常に暗く感ぜられる。原作以上に暗くなっているようである。原作でも、ことがらが姦通ということもあって、主人公の男女には世の中をはばかるところが濃厚に感じられるのだが、それにしても代助と三千代の間には、官能的な触れ合いがある。恋愛小説なわけだから、男女の間に官能の触れ合いがなければ、姦通はただの血迷いごとに堕してしまい、そこに潤いを感じることはないだろう。漱石もそこの所はわきまえていて、全体が暗い話の中でも、代助と三千代との間に、精神的なものではあるが、官能のつながりを持たせることで、小説に色艶のようなものを持たせている。それが映画では不足しているようだ。そのために、全体として暗い雰囲気のままで、がさついた印象を与えているように見える。 これは森田の演出もさることながら、代助を演じた松田優作の雰囲気によるのかもしれない。松田は森田の前作「家族ゲーム」ではクールでニヒル気味の青年を演じていたが、そういう役柄は非常に似合うにしても、女に心を奪われている男を演じる場合には、そのクールさやニヒルさが鼻につくものになるようだ。女に夢中になっている男は、それなりに飛んで見えるところがあるものだが、この映画の中の代助にはそうしたところがない。彼はいつもクールで投げやりな印象を与えるのだ。これはどうみても恋する男の表情ではない。すくなくとも漱石が生きた時代には、恋する男はもっとホットだったはずだ。 だから森田はこの映画を、原作に多少手を加えて、同時代の男女関係にもうすこしマッチするように作りあげたほうがよかったかもしれない。 原作でもこの映画でも、最大の見せ場は代助が三千代に愛を告白する場面だ。その場面で代助は自分の三千代への愛を綿々と告白し、三千代はその愛を断固として受け止める。原作では互いに愛を確かめた後では女の方がその愛に積極的になるのがわかるのだが、映画ではそうした女の強さのようなものよりも、男が女にむかって愛を告白するまでのプロセスに注意を集中している。その時に、原作でも出てくる百合の花が小道具として有効に使われる。その辺の盛り上げ方は、それはそれとして洒落ているといってよい。 原作は、自分と三千代の未来がどうなってゆくか、代助が環状電車で外堀通りをグルグルと回りながら懊悩する場面で終わっているが、映画ではその場面は出てこない。題名の「それから」という言葉は、この最後の場面に対応しているのだが、映画では冒頭で代助と三千代の夫とが挨拶を交す場面で使われている。「それからどうした」という具合に。 代助の服装が面白い。洋風のワイシャツを着た上に和服を着せ袴をはかせている。これは森田の愛嬌なのだろう。 |
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