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橋口亮輔「恋人たち」:いかれた中年男女



「恋人たち」というタイトルからは、フランス人ルイ・マルの映画を想起させられる。やはり「恋人たち(Les Amants)というタイトルのルイ・マルの映画は、倦怠せる男女の糜爛した恋のアヴァンチュールを描いていたものだったが、日本人の橋口亮輔が作ったこの映画が描いているのは、いかれた中年男女がくりひろげるかなり崩れた人間関係である。一応「恋人たち」というタイトルがつけられているが、男女の恋が描かれているわけではない。描かれているのは、なにやらあやしげな人間模様である。

映画には三組の人間集団が出て来る。それらにはそれぞれ中心人物がいるが、この中心人物が互いにかかわりあうということはない。かかわりあうにしても、表面的なすれ違いであり、本質的な関係ではない。ましてや、恋をめぐるかかわりでは毛頭ない。

三組の人間集団とは、妻を殺されてなんとかして復讐してやりたいと願っているさえない男とかれを囲む人々、夫とその母親とともに暮らし、日中は食品会社らしいところでパートをしている中年女、そしてゲイであることを公言している男の弁護士である。この弁護士には、第一番目の男が法律上の相談をしているという関係にあるが、弁護士は真面目に相談に乗ろうとしない。おそらく金をとれる見込みがないと踏んだからだろう。第一番目の男は、生活に困って国民健康保険の保険料も払えないのだし、日々の生活もままならない有様なのだ。

映画はその第一番目の男の独白から始まる。その独白は、自分のような冴えない男と結婚してくれた妻への感謝にあふれる言葉の連続だった。この男は、自分のようなものは一生結婚できないと思っていたが、そんな自分と妻が結婚してくれて、心からうれしかったと、くどくどと語り続けるのである。そんなに愛していた妻を殺されたので、この男は怒りに燃え、妻を殺した相手を殺してやりたいと願っている。少なくとも、国が死刑にしてくれることを願っている。ところが、事件に際して精神状態が普通でなかったことを理由に、無罪になってしまうのだ。それについて男は、どうしても納得できない。国が正当な裁きを下し、犯人を殺してくれないのなら、自分に殺す権利を与えてほしい。そう叫びながら、それをかなえてくれない日本という国は、「こんなくそみたいなどうでもよい」ものだと罵るのである。

中年女性のほうは、自分の生活に大きな不満があるわけではない。夫は体裁の悪い中年男だが、自分だって体裁がいいわけだはないので、似合いの夫婦だと思っている。ときたま夫からセックスに誘われると、喜んでそれに応じる。なにしろ夜中に進んでコンドームを買いにでかけ、それを自分の手で夫のあれにかぶせてやり、自分が夫の腹の上にまたがってセックスするのであるから、少なくともセックスパートナーとして夫を受け入れているわけだ。

この中年女は、セックスには前向きだが、自制心はないようで、ふとしたことからある男に誘惑されると、ころりといかれてしまう。そのあげくに家族(夫とその母)がいない隙に間男を家に連れ込んで、セックスを楽しむ始末。それについて罪悪感があるわけではない。しかし、間男から金を無心されると、さすがに相手の目的が金にあったのだと悟ったりする。もっとも彼女はそれについて怒ったりがっかりしたりはしないのである。相手の男が自分の目の前からいなくなると、ひきつづき夫との間でセックスを続けるのである。

ゲイの弁護士は、ふとしたことから脚を骨折するが、それによって生活に重大な変化が起こるわけでもない。弁護士としての仕事も続けている。この男には酷薄なところがあって、金にならない依頼人には冷たい態度をとる。第一番目の男からは、色々と生活上の相談を持ち掛けられるが、冷たくあしらって追い払ってしまうのだ。仕事に不熱心なこの弁護士が熱心なのは、色道の相手を確保することだ。しかしいままでのゲイ・パートナールからは愛想をつかされ、逃げられてしまうし、少年時代からの友人からは、自分の息子に色目を使うなと言われてしまう。

そんなわけで、この映画に出て来る人物たちは、どれもまともな恋愛とは無縁なのだが、なぜか「恋人たち」と呼ばれるわけである。プロデューサーがどういうつもりでこんなタイトルをつけたか、その意図がわからない。この映画は上述の要約からもわかるように、恋愛映画というよりは、現代日本社会批判の映画といってもよい。とりわけ第一番目の男をめぐる話は、いわゆる負け組の悲惨さと、そうした格差を生んだ日本社会に対する強い批判意識が認められるのである。



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