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明日への遺言:小泉堯史



小泉堯史の2008年の映画「明日への遺言」は、大岡昇平の小説「ながい旅」を映画化したものである。原作は、一BC級戦犯の裁判をテーマにしている。東海軍司令官だった岡田資が、名古屋空襲中に捕虜になった米兵たちを簡易裁判で有罪にし、斬首して処刑したことが、戦争犯罪に問われた事件だ。岡田自身はこの裁判の結果絞首刑になったが、法廷で米軍による無差別空襲の非人道性を指弾し、また罪を一人でかぶるなど、人間として高潔な態度を終始とったことを、大岡なりの視点から評価した作品だ。映画は大岡のそうした意図を、よく表現し得ていると思う。

大岡は、埴谷雄高との対談「二つの同時代史」のなかで、この小説に触れ、自分としては、BC級戦犯の中に人格の高潔な人間がいたということを、国民に知ってもらいたくて書いたと言っている。戦後の日本では、A級戦犯はともかく、BC級戦犯も、ほとんど同情されることはなかった。A級戦犯は、無謀な戦争を始めて国民を苦しめた責任者であるし、BC級戦犯も、日本軍の力を背景にして、無道なことを行ったことに対する報いで、自業自得だというような見方が支配的だった。そういう空気に対して大岡は、BC級戦犯の中には、この岡田のように、無私の動機から敵兵を処分し、またそのことに対していさぎよく責任をとったものもいたのであり、そうした人も十把一絡げで軽蔑するのは、人間として忍びないという気持ちを、この小説に込めたという。

その大岡の気持を、映画は、大岡が死んだ後ではあったが、十分に汲み取っていると思う。それには、岡田を演じた藤田まことの表情が大いに働いた。藤田は、もともとはコメディアンだが、こういう渋い役をやらせてもうまい。

この映画は裁判の雰囲気もよく出ている。小生は原作を読んでいないのでなんともいえないが、大岡は裁判の雰囲気を描くのがうまい。「事件」という小説は、裁判の場面を中心にして展開しているほどだ。この「ながい旅」という小説も、やはり「事件」と同じように、法廷での裁判の場面からなっているのだろう。

その裁判で、岡田が米兵による無差別攻撃の非人道性を告発する場面は、米軍側の裁判官をもうならせるものだ。これに対して米側の検察官は、ヒロシマ、ナガサキも人道に反する罪だというなら、合衆国大統領も戦犯だということになるといって、牽制する。実際トルーマンは、人道に対する罪を犯した戦犯というべきであって、もしアメリカが敗れていたら、東条と同じように裁判にかけられたであろう。しかしそんなことを言うのは、当時としてはタブーだった。そのタブー意識も、この映画にはよく出ている。




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