壺齋散人の 映画探検
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今井正「青い山脈」 昭和憲法の精神



今井正の1949年の映画「青い山脈」は、戦後日本を象徴するような映画だった。新憲法が発布されて二年後に作られたこの映画は、ある意味新憲法の精神を国民に訴えるプロパガンダ作品のような面を持っていたし、またそこで描かれた男女の愛の素晴らしさとか、個人の自立を強調するところなどは、いままでそんなことを見聞したことのない日本人に大きなインパクトをもたらした。そんなこともあって、この映画は賛否どちらの立場からも大いに議論されたし、一般国民の関心も引き寄せた。興行的には大成功し、主題歌も大ヒットした。この歌は今でも人々に愛唱されており、その人気の根の深さは誰もが認めるところだ。内田樹などは、この歌を日本の国歌にしたいと言っているくらいだ。

しかしいくら民主主義の息吹が高まった戦後すぐの時点だからといって、政治的なメッセージだけで人をひきつけられるものではない。この映画には、娯楽作品としても、人々を強くひきつけるところがある。この映画を大きな目で俯瞰すると、物語の骨格が漱石の「坊ちゃん」に似ている。新米教師が理想に燃えて教育にあたるが、だめな生徒たちにさんざん手を焼かされる一方、学校の同僚たちが繰り広げる陰謀めいた騒ぎに巻き込まれ、ひどい目にあわされる、というのが「坊ちゃん」の大筋だが、この映画の筋もそれとよく似ているのだ。男の坊ちゃんに対してこの映画の主人公は女になっているが、やることなすことは男の坊ちゃんと変らない。つまり女の坊ちゃんといってよい。「坊ちゃん」の話なら日本人は昔から大好きだったわけで、その大好きな話が展開されたとあっては、人気を博さないわけはない。

映画は前後二編からなっていて、合わせると三時間に及ぶ大作である。前篇では原節子演じる女教師が、生徒同士のトラブルに巻き込まれ、その一方に加担した為に、多数派であるもう片方の反発を食らったあげく、学校当局や父兄からも白い目で見られるに至る経過が描かれる。後編では問題の処理を目指した学校側が理事会を開き、その場で女教師の過失を認定しようとするものの、うやむやのうちに終わってしまう。結局生徒同士が自主的に和解することで問題は解決し、女教師は憎からず思っていた校医の求愛を受け入れるところで映画が終わる、ということになっている。

映画は、この女教師の言動を中心に展開し、それに一人の女学生(杉葉子)と男子高校生(池部良)の淡い恋がからむ。女教師の言動は、戦後民主主義の典型のようなもので、彼女はことあるごとに古い因習と戦い、個人の自立を叫ぶのである。そんな彼女を見て校医(龍崎一郎)が恋心を抱き、なにかと彼女のために苦労する。しかしちょっと無神経なところがある。女教師から自分の生き方を聞かれて、「親爺のあとをついで町医者になり、そのうちに嫁を貰って身を落ち着け、妻の目を盗んで浮気をする、貫禄がついてきたら市議会議員になって、妾の一人も囲いたい」。そう言うのだが、それを聞かされた原節子が怒り心頭になり、いきなりビンタを食らわすのである。

とにかく原節子演じる女坊ちゃんは、本家の坊ちゃんより鼻息が荒い。その鼻息を支えているのは自分への絶対的な信頼である。彼女は自信たっぷりで、なにが起っても動じない。悪いことがおこったら、その原因は周囲にあるので、自分には全く責任はない。自分の使命はこの世の不合理を正すことだとばかり、彼女は日夜スーパーウマンの活躍ぶりを見せるのである。

これに比べると、一見お転婆な女学生と彼女の恋人の振舞いは至極穏健だ。彼女らが騒ぎを引き起こすのは思慮が足りないせいだが、まだ十七歳の女学生にそれを求めるのは酷というものだ。高校生にしたって二十歳になったかならないかの年齢で、この世の経験が豊かなわけではない。彼女らはなんといってもまだ子供なのだ。

それ故、原節子演じる女教師の振舞いは、今の目で見ても飛んでるように見えるわけである。でも女坊ちゃんなら、多少飛んでいてもおかしくはない。そういう目でこの映画を見れば、娯楽作品としても十分に楽しめる。

この映画の中の原節子はたしか二十九歳だったが、年齢相応の落ち着きが加わって美しさに磨きがかかっているように見える。彼女の映像としては一番美しいのではないか。とくに思いつめたような目つきを見せるときは、妖艶ささえ感じさせる。その原節子が校医からの求愛に答えて、「わたくしをよく観察なさったうえでわたくしと結婚したいとおっしゃるなら、お受けしてもよいと思います」という場面が最後に出てくる。戦後まもない頃の時点だからこんな言葉が出てくるのかもしれない。いまだったら、こんなことを言う女は、誰からも相手にされないだろう。

この作品はよほど日本人の心の琴線に触れたらしく、その後何度も映画化された。そのたびに政治的なメッセージが弱まり、娯楽性が強まった。





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