壺齋散人の 映画探検
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小林多喜二:今井正の映画



今井正が映画「小林多喜二」を作ったのは1974年のこと。その頃には、かつて国民の間に一定の影響力を持っていた共産党の人気が落ち、共産主義そのものも退潮の傾向をたどっていたので、日本の共産主義運動の草分けであり、プロレタリア文学の騎手といわれた小林多喜二も忘れられた存在になりつつあった。そういう背景の中で今井正が小林多喜二をテーマにした映画を作るについては、自身共産主義者としてのかれのこだわりがあったのだろう。この映画は、かれのそうしたこだわりをもとに、臨時的な独立プロによる制作というかたちをとった。

映画は築地警察署における警官たちによる小林多喜二拷問殺害の様子を写すところから始まる。そこで時間をフラッシュバックさせて多喜二の少年時代に飛び、そこを起点に多喜二の短い生涯を振り返るという構成をとっている。苦学して商業高校を卒業し、北海道拓殖銀行に就職してサラリーマンとして働くかたわら、小説を書くようになること。その小説の世界を通じて蔵原惟人はじめ多くの共産主義者と知り合いになること。そして自身が日本の共産主義運動の中心的役割を担うに至るプロセスがざっくりと語られる。その合間に、女給上がりの女性とのつかの間の恋も紹介される。だが、日本社会が全体主義的雰囲気を強めるにつれて、官憲による反体制主義者の弾圧が激化し、多喜二は29歳の若さで虐殺されてしまう。その多喜二の通夜の席に、女給上がりの女性を招かれてやってくるのである。そういうわけで、多喜二の政治的な生涯に、薄幸の女性とのつかの間の恋をからませた、にくい作りになっている。

映画のことだから、あまり政治的な背景に立ち入ることはしないが、それにして数多くの共産主義者のうち、なぜ多喜二がむごい死にかたをせねばならなかったか、という疑問はわく。築地署の異様な取り調べ体質に原因を求める見解もあるようだが、やはり多喜二が文学者としてもっていた影響力を、官憲とその背後の権力が恐れたということではないか。この映画には、拷問シーンが多出するが、それを見ていると、拷問している警察官が、それをサディスティックに楽しんでいるような様子が伝わってきて、胸糞悪くなる。こういう連中は、戦後も涼しい顔をして生き延びたわけで、大義のために殺された多喜二の無念さが、小生のようなものにも湧いてくるのである。

なお、いったん忘れられたと思われていた小林多喜二は、21世紀になってから見直されることとなる。21世紀型の新たな貧困と社会的な分断が、正義を追求した多喜二への関心を高めたからだと思われる。多喜二は日本人としてはめずらしく、正義を体現した存在、正義のシンボルのように受け取られているのではないか。


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