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山田洋次「家族」:新天地をめざす家族の旅



山田洋次は、「男はつらいよ」シリーズを年二回のペースで作り続け、その合間に単発的な作品を結構多く作った。1970年の「家族」はその走りといえるものだ。映画評論家の中には、「男はつらいよ」シリーズを盆・正月用の興業を当て込んだ娯楽作品とし、「家族」を含めたその他の作品を芸術的な作品だと分類するものもいるが、そんなふうに単純に分けられるものではない。作品に流れている叙情的な雰囲気は共通しているし、人間を感傷的に描き出しているところも同じだ。要するに、人間の心のふれあいに拘っている。

「家族」は、新しい生活を求めて長崎県の伊王島を出て新天地の北海道を目指す一家族の旅を描いたものである。その家族は夫婦と二人の幼い子ども、そして祖父からなら五人家族である。その家族がなぜ故郷の島を捨てて北海道に行こうとしたのか。夫の野心とか、一応理屈は言われているが、あまり説得力はない。この当時の日本は高度成長の絶頂期にあったから、人口の移動は大きかったわけで、人々はよりよい生活を求めて日本中を移動していた。この映画のなかの家族も、そうした勢いに乗って踊らされたと言えなくもないが、それにしても払うことになる代償に値するようなことだったのか、考えさせられるところもある。

伊王島というのは、長崎市の近くにある島で、いまでは橋で本土とつながっているが、この映画が作られた当時は、長崎との間を船で往復していた。映画のなかでは炭鉱がよく出ているから、おそらく炭鉱の島だったのだろう。その当時には、日本のエネルギー構造が劇的に変化し、石炭産業は斜陽に向かっていたから、炭鉱の島に明るい未来は無かったに違いない。だが映画は、それが理由でこの家族が島を捨てたとは言っていない。あくまでも、井川比佐志演じる夫が、北海道で一旗上げたいと思いつめているということになっている。

倍賞千恵子が演じる妻は、当初は夫の計画に大反対だったが、そのうち夫の熱意に負けて一緒に北海道へ行くことを決意する。一旦決意するや、彼女は一家の支柱となって計画の実現にまい進する。少しでも旅費の足しにしようとして、近所のスケベ親父から色仕掛けで金を借りるところなどは、彼女の逞しさをあらわしている。彼女は一家のために細かい目配りをし、一家になにか不都合がおこると、必死になって解決しようとする。この一家が団結して前へ進んでいけるのは、彼女のこうした姿勢に助けられているところが多い。そんな彼女の姿を見ていると、筆者などは日本の女の鑑だと思ってしまう。

伊王島から彼らが目指す根釧原野までは気の遠くなるような距離だ。いまなら長崎から飛行機に乗って一気に釧路まで行けるが(長崎発釧路行きの直通便がある)、当時は船と汽車を乗り継いでの気の長い旅だ。この家族は、船で長崎まで行き、長崎から大阪まで山陽本線に乗り、大阪から東京までは新幹線、東京から青森までは東北本線、青森から函館まで青函連絡船、そして函館から先は室蘭本線、根室本線、標津線を乗り継いで中標津まで行くのである。途中福山に下車して弟一家の家を訪ね、大阪で万博を見物し、東京では思いがけない不幸に見舞われる。まだ乳児の子が不慮死してしまうのだ。

子を失った賠償千恵子の表情が痛々しい。彼女はすっかり落ち込んでしまう。こどもの遺骨を抱いたまま道路にくずおれてしまうし、青函連絡船のなかでは島に戻りたいと言い出す。すると夫が怒り出し険悪なムードになる、そこを笠智宗演じる祖父が中に入ってなだめる。こうしたなにげないことがらが、この家族の厳しい境遇を浮かび上がらせる。

というわけで、この映画は日本的なロード・ムーヴィーだとも言える。家族が肩を寄せ合って、汽車で目的地を目指すと言うのが、なんとも日本的なところを感じさせる。

目的地につくと、今度は祖父が、おそらく旅の疲労がもとで死んでしまう。島を出たときに五人いた家族は、三人になってしまった。果たしてこの旅は、こんな犠牲を払うに値するものだったのか。誰もがそう思うところだが、映画の中の夫婦はあくまで前向きだ。いまさら振り返っても仕方が無い、前を向いて歩くしかない。そんな前向きの表情が観客に伝わってくる。

その気持ちが身を結んだのだろう、二つのうれしいことが起る。一つは牛の子が生まれたことだ。生まれる現場を見た倍賞千恵子は、興奮しながらその様子を夫に話して聞かせる。その顔は、新しい命に接したものの敬虔な喜びに満ちている。そうして彼女はもう一つの命も授かる。新たな命を自分の胎内に宿したのだ。失った命のかわりに新たな命を授かったのである。

こんなわけでこの映画は、かなり感傷的なところがあるが、その分単純でわかりやすい。倍賞千恵子の演技がすばらしい。特に大阪万博会場で、だましたスケベ親爺に偶然邂逅する場面などは、なんともいえないいい演技だ。だまされたことに腹をたて、金を返せと叫ぶ親爺に向かって彼女は言う、あんたそれでも日本人か、と。たしかにその時代を生きていた日本人なら、弱っている人間を食い物にしてやろうなどとは、誰も思わなかったはずだ。

なおこの映画には渥美清をはじめとした寅さんシリーズの常連俳優たちや、「馬鹿丸出し」シリーズでつきあったハナ肇とクレージーキャッツのメンバーが友情出演みたいな形で出てくる。



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