壺齋散人の 映画探検
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市川崑「野火」:大岡昇平の小説を映画化



大岡昇平の小説「野火」は、太平洋戦争末期のフィリピン戦線における遊兵の人肉食をテーマにしたものである。これを市川崑が映画化した。テーマの重さからして、小説としても難しいところを、どう映画化するのか。一歩間違えば、グロテスクなホラー映画になったり、うわすべりの倫理映画になったりしかねない。市川はしかし、余計な修飾を避けて、ドライなタッチで淡々と描いた。そのことで、この重いテーマが、映画の画面を通じて、見るものに迫ってくるようになっている。

細かい異同はあるが、概ね原作どおりの筋書きになっている。負傷して病院に入れてもらえない兵が、病院の周りでたむろするところ、教会の十字架につられて入りこんだ村で、田村一等兵(船越英二)がフィリピン人の女を殺すところ、その教会の周囲に日本兵の死体が転がっているところ、山中で知り合った兵士たちと行動を共にしながら、西部の拠点を目指して進んでゆくところ、そして田村一等兵がたびたび野火を目撃するところなどである。

映画であるから、視覚的な効果をねらった部分もある。野火が原作以上に頻繁に登場するのはその一例だが、その他にも、脱ぎ捨てられた靴をめぐって、兵士たちが次々と群がるシーンなど印象的な場面がさしはさまれる。脱ぎ捨てられたポンコツの靴でも、それよりひどい靴を履いているものには魅力がある。その兵士が代りに脱ぎ捨てたひどい靴も、それより更にひどい靴よりましだ。という具合に、靴は形をなさないほど損なわれて始めて、誰にも顧みられなくなる。戦場の窮状が兵士にそのようにさせるのである。

原作のクライマックスは、同行していた二人の兵士と、一旦別れて再会した田村が、彼等が日本兵を殺してその肉を食っていたことに気付く部分と、彼等が仲間割れを起こし、一人が他の一人を殺してその死体を解体する場面だが、これを市川もほぼ原作の雰囲気どおりに映像化している。原作では、殺された兵士の手足を、殺した兵士が斧で切り落とすことになっていたが、映画ではそれを露骨には映さず、物陰で死体を切り刻んでいるようなふうに匂わせているだけである。そして彼がその死体を食ったことを、彼の口を血で染まらせることで表現するわけである。

市川はこの映画をモノクロで作った。この映画は人間の血なまぐさい体が方々で出てくるから、カラーだったら非常に陰惨な印象を強くしたに違いない。市川は画面から色彩を取り除いて中性化することとあわせて、事態のなりゆきを抑制されたタッチで描くことで、全体として禁欲的な映画作りに成功しているといえる。



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