壺齋散人の 映画探検
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増村保造「兵隊やくざ」:軍隊生活を笑いのめす



増村保造の1965年の映画「兵隊やくざ」は、日本軍の兵営生活を描いたものである。日本軍の兵営生活は、内務班といわれる単位を中心に営まれていたが、そのありさまは、野間宏が「真空地帯」で描いたように、身分意識と私刑が支配する陰惨な面を多分にもっていた。この映画は、そうした陰惨な面を、ブラック・ユーモアを駆使して、面白おかしく描き出したものだ。笑いのめすといってもよい。この手の映画は他にも沢山作られたが、出来のよさという点でも、評判の面でも、もっとも成功したものといえる。

舞台は、終戦間近の時期における、北満州だ。孫呉にある日本軍の拠点とされるところ。ここはソ満国境に面し、緊張感がつねに漂っている。だから、兵士の気持もすさんだものになりやすく、したがって私刑のような暴力沙汰が日常茶飯事になっている。そんなところに、もとやくざの鼻つまみ者が、新兵としてやってくる。その新兵を。古参の兵たちがなぶりものにしようとするが、勝新太郎演じる新兵の大宮は、やられっぱなしではいない。やられたら、その何倍にもしてお返しをする。この映画は、その大宮と古参の兵たちとが繰り広げる暴力沙汰を中心に展開してゆく。

大宮には、内務班の最古参兵有田上等兵(田村高廣)が監視役としてつけられる。監視役だから、大宮があばれないように気を配るのがつとめのはずだが、大宮が他の班の古参兵からいじめられると、大宮の味方をする。大宮はそれをいいことに、自分の気に食わない連中を次々と叩きのめしてゆく。そんなわけでこの映画は、大宮と古参兵たちとの戦いの連続からなっている。

その点では、日本の芸能の大いなる伝統たる勧善懲悪の精神を体現しているわけだ。この映画が成功した最大の理由はそこにあるといってよい。悪を懲らしめるに、悪を以てするという点では、多少勧善懲悪の精神にはずれるところがあるかもしれないが、そこは大きな悪が小気味よく退治されることでつぐなっているわけだ。

兵営での辛い生活に耐え切れず脱走するものがあとを絶たないが、なにしろソ満国境の茫々たる荒野に兵営が位置しているとあって、脱走しても行き場がない。結局発見されてつれもどされるか、自殺するかしか、道はないのだ。

それでも、大宮は、こんな生活はごめんだといって脱走することを決意する。その決意をさせたのは、孫呉の部隊がこぞって南方に派遣される方針が示されたことだ。南方戦線で日本軍が窮地に陥っているということは、兵士たちにもわかっていて、そこに送り込まれるということは、死地に放り込まれるということを意味する。そこで大宮は、脱走する決意をするわけだ。大宮自身が言うその理由が面白い。いままでは有田上等兵に救われっぱなしだったが、そのお返しをいつかしたいと思っていた。いまこそその機会で、この機会に一緒に脱走して、ともに生き延びたいというのだ。

その方法が振るっている。孫呉の部隊は、列車に乗せられて朝鮮方面に向かって輸送されることになるのだが、その列車の機関車を乗っ取って、本体の客車と切離し、自分たちだけが線路を走り続けて、大きな町の近くで脱出し、中国人に成りすまして身を隠し、戦争の終わるのを待とうというのだ。

脱走そのものは、映画のなかでは成功したことになっているが、その後彼らがどうなったかは、わからない。彼らと似たような脱走兵が、沢山いたのだろうか。そのへんのところが知りたいが、詳しい情報はほとんどないようだ。

勝新太郎の演技が冴えている。彼はそんなに大柄ではなく、むしろ小男といってよいほどだが、それが何人もの男たちを相手にスーパーマンのような活躍をする。まるで現在に生き返った金太郎か孫悟空のようである。この荒唐無稽さが、映画を一層面白いものにしている。



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