壺齋散人の 映画探検
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増村保造「刺青」:谷崎潤一郎の小説を映画化



増村保造の映画「刺青」は、谷崎のあの小説が原作だという触れ込みなので、そのつもりで見たら、全く違った代物だった。筋書きも雰囲気も全く似ていない。共通点があるとすれば、それはただひとつ、女の背中に彫られた刺青の図柄が蜘蛛だったということだ。谷崎の小説では、この刺青を彫られた娘が、少女から女へと変ったというふうな落ちになっているが、この映画の場合は、普通の女が悪女に化けたというわけだ。そういうわけで、刺青は筋書きを進めるための添え物で、本筋は悪女の悪女振りを描くところにある。その悪女を、これは悪女役をやらせたら型にはまる若尾文子が演じている。この映画はどうも、若尾文子のために作られたようなものだ。若尾はこの映画を通じて、永遠の悪女スターという名声を後世に残すこととなった。

悪女に化けた、という言い方をしたが、刺青を彫られる前の若尾は、恋一筋に生きる可憐な女だったのだ。それが刺青を彫られた途端に、いきなり毒婦となって、男をたぶらかすことを楽しむ女に変身する。その変身振りは、人格がそっくり入れ替わるような激しさなので、これは背中の毒蜘蛛の作用としかいいようのない、異常さなのだ。その異常さが周囲を巻き込み、女の周囲は俄に血なまぐさくなる。

若尾の背中に彫られた蜘蛛の図柄は、あまり迫力のあるようには見えない。それは女の顔を持った巨大な蜘蛛で、女の背中の真ん中に陣取り、八本の足を背中いっぱいに張り巡らせている。その蜘蛛の様子が女を抱きすくめているように見え、女はその力に操られて悪事を重ねるのだと伝わってくる。

女はもと大店の一人娘だったが、手代の男と駆け落ちをしたところを、やくざ者に見入られて鴨にされる。その挙句背中に蜘蛛の刺青を彫られ、女郎屋に売り飛ばされるのだが、生来気の強い女らしく、境遇を逆手にとって、男たちを翻弄する。色男を使って、自分を売り飛ばした悪い奴らを次々と殺したり、八百石の旗本に惚れたりして、最後には殺されてしまうのだ。

その女を殺したというのが、女の背中に蜘蛛の刺青を彫った彫師だった。彫師は、女の美しさに惚れて、そのみずみずしい肌に刺青を彫る喜びを味わったはいいが、その刺青の蜘蛛が女をかどわかし、次々と人殺しが起こることに、良心の呵責を感じていた。そこで蜘蛛にこれ以上悪さをさせないよう、女の肌もろともに破壊してしまったわけである。その破壊の行為が女殺しとなって現われたわけだ。

こんなわけでこの映画は、蜘蛛の刺青というアイデアを谷崎から拝借して、あとは若尾の悪女振りが最大限うかがわれるように、話の筋を按配したというものである。

若尾は妖艶な色気を映画のなかで発揮している。その色気が悪女の雰囲気を演出している。背中の蜘蛛を観客にもよく見てもらいたいがために、若尾はしょっちゅう裸になって背中を見せてくれる。その背中で蜘蛛が動き回って見えるのは、若尾の肌が波打っているからだ。若尾は、背中はもとより、全身に肉と脂がよくついていて、そのために肌が波打つように動き回るのだ。



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