壺齋散人の 映画探検 |
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崔洋一の1998年の映画「犬、走る」は、日本社会のエスニック・マイノリテがテーマである。新宿の歌舞伎町から大久保あたりにかけてが舞台なので、在日韓国・朝鮮人や中国人が中心で、それに南アジア系と思われるものや国籍不明なものが多数出て来る。大したストーリーはないのだが、犯罪にかかわる外国人と、それを取り締まる日本人の警察官の攻防が描かれる。どうも、日本にいるエスニック・マイノリティは、権力による治安維持の対象だというような視点を強く感じさせる作品だ。 「月はどっちに出ている」で主人公のタクシー・ドライバーを演じた岸谷五朗が、新宿警察署の警邏課員を演じている。警察署の警邏部隊というのは、犯罪の摘発が専門ではなく、地域の安定を守るための見回りを使命とするものなのだが、この映画の中の警邏課員は、地域の犯罪組織と深いつながりを持ち、場合によっては持ちつ持たれつの関係にある。いわば癒着しているわけだ。癒着ついでに、闇の世界の妾に手を出し、いい思いをしているところ、その女を殺されて、復讐するというのが筋書きの主たるものだ。その復讐には、在日コリアンの男も助力する。その男と警邏課員とは、その女をめぐっていわば穴兄弟の間柄なのだ。 女を殺したのは、在日コリアンの犯罪組織ということになっている。新宿に、中国系の犯罪組織が跋扈していることは、区の当局も認めるところだが、在日コリアン系の組織もあるということなのだろうか。その組織の親分で、殺された女の紐だった男は、日本語で虎男というのだが、ハングルではホンナミと発音する。一方警邏課員の相棒の在日コリアンは秀吉と書き、スギルと発音する。かれらも殺された女をめぐり穴兄弟だったわけだ。 その複雑な穴兄弟の関係が、殺し合いの関係に発展するというのが、この映画のミソだ。もっとも実際に殺される人間はおらず、せいぜい追われて逃げ回る程度なのだが。タイトルの「犬、走る」とは、犬のように逃げ回る惨めなやくざ男をイメージしているのである。 岸谷五朗は、「月はどっちに出ている」では、在日韓国人を演じたが、この映画では日本人ということになっている。だいたい日本の警察は、絶対に外国人あがりを採用したりはしないものだ。その日本人としての岸谷演じる警邏課員が、犯罪者たちとはいえ、外国人相手に勝手放題のことをする、外国人ならなにをしても許されると思い込んでいるようだ。しかも警察の威光を後ろ盾にして、勝手なことをするわけだから、どこかいやらしさも感じてしまう。崔洋一には、そうした日本人のいやらしさに対する独特の感度が備わっているようだ。 こんなわけで、この映画には、岸谷以外には、日本人はほとんど出てこない。みな外国人ばかりである。外国人が犯罪組織をつくり、外国人をカモにして金を巻き上げている。そういう倒錯した世界が淡々と描かれているのである。観客はこの映画を見て、日本にもこういう場所があることに、気づかされるというわけだ。 |
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