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崔洋一「豚の報い」:沖縄の風葬



崔洋一の1999年の映画「豚の報い」も沖縄を舞台にした作品だ。前作「Aサインデイズ」のような政治的なメッセージ性はない。沖縄の離島につたわる葬儀がテーマだ。この離島ではいまだに風葬が行われているのだが、それは特殊な事情がある場合だ。海で死んだものは、十二年間は埋葬できないので、その間は風葬したまま遺骸は大気に曝しつづけられる。十二年たてば墓に骨を収めることが許される。この映画は、父親を海で失った子が、風葬された父親の骨を拾いに故郷の離島へ戻って来るというような筋書きだ。

タイトルの「豚の報い」には、いくつかの意味が込められている。主人公の青年正吉は、俄に産気づいた母親が豚小屋で産み落としたのだった。その豚を船に乗せて売りに出かけた祖父は、二度と帰らなかった。また、母親と二人の姉はそのすぐ後に死んでしまい、残り三人の姉たちは、都会へ出て正吉とは交流がない。正吉は事実上天涯孤独の身になってしまったのだが、それは「豚の報い」だろうというわけである。

もう一つ、もっとストレートな報いがある。正吉が入り浸っていたバーに、逃走した豚が入りこんできて、女従業員たちをパニックに陥れる。女たちは、バーのマダムのほか二人のウェイトレスからなっていたが、一番若いワカコというウェイトレスに豚が恋をして、セックスを迫ろうとする。その様子にワカコはショックを受けて、気絶してしまうのだ。小吉はやっとの思いで豚を追い出す。この豚は養豚業者がトラックで大量輸送中に、どういうわけか全員逃げだして、町を行進した部隊の一員だった。その豚が行進する様子が何とも面白い。今村昌平の傑作「豚と軍艦」の一シーンを想起させられる。

バーの女たちは、正吉の勧めもあって、厄払いをする決心をする。正吉の故郷の離島に厄払いの儀式をするところがあり、効き目がよいと言われて、皆でその離島に繰り出すのだ。実は正吉は、風葬されてから十二年たった父親の骨を拾って、墓に埋葬してやろうという魂胆で、女たちは金づるのつもりで誘ったというわけなのである。そんなことは知らない女たちは、正吉に案内されて離島に到着し、ある民宿にとまって厄払いの機会を待つ。

その民宿の女将は正吉をよく知っていて、歓待してくれる。正吉は島の人々に風葬の場所を聞いたりして、父親の骨を拾う準備をする。一方、女たちには、天気が悪いことを理由に、厄払いを先延ばしして時間稼ぎをしようとする。退屈した女たちは、正吉を誘惑してセックスの相手をさせようとしたりもするが、正吉はどうも淡白なようで、その誘いには乗らない。一人とセックスしたら、ほかの二人ともしなければならないし、面倒なだけだ、というふうな雰囲気が伝わって来る。

そのうち、豚の内臓を食ったのが原因で、女たちはみなひどい下痢になる。なかでもママの下痢はひどく、正吉は彼女を背負って病院まで連れていかざるを得なくなる。そのうえ、女に付き添って面倒を見る羽目になり、女が汚した下着を始末しろと命令される始末。挙句は、お前はわたしの恥ずかしいところを見たのだから、もう顔を見たくもないなどと、無闇なことまで言われる。

小吉はついに風葬の場所を見つけ、そこで父親の骸骨を見る。しかしどういうわけか、そのままそこに眠らせておくことにして、墓のかわりに祭壇のようなものをつくる。それをウタキと称して、女たちに拝ませようというのだ。

こんな具合に、風葬とか沖縄流の葬儀とかを種にして、青年と女たちとの関わり合いをコメディタッチに描いた作品だ。正吉を小澤征爾の息子の小沢征悦が演じている。父親の面影はあまり感じられない。舞台となった真謝(マジャ)島とは、久米島のことをさすらしい。



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