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この世界の片隅に:片淵須直



2016年公開のアニメ映画「この世界の片隅に」は、こうの史代の同名の漫画を映画化したものである。広島の沿海部で生まれ育った娘が、十八歳で呉のさる家にとつぎ、戦時中の厳しい世の中をけなげに生きる様子を描く。原爆には直撃されなかったが、米軍の空襲にまきこまれて、同行していた小さな少女を死なせ、自分自身右手を失いながらも、絶望することなく必死に生きる、そんな女性の生き方を、共感をこめて描いた作品である。

主人公はすずという名の娘。その娘が八歳の時(昭和八年十二月)から始まり、昭和十九年二月に十八歳で嫁入りし、敗戦の年を迎えるまでの約十二年間を、経年的に追っていく。実家が海苔養殖業をやっているので、すずは製品化した海苔を広島に売りにいく。映画はその場面から始まる。すずは絵を描くのが好きで、気に入った対象を見ると、いつも持参している小さなスケッチブックに鉛筆で描くのだ。

すずはぼんやりした性格で、ものごとにあまりこだわらない。だから十八の年で嫁入りの話が出た時にも、あまり真実味を感じられない。しかし自分を嫁に貰ってくれた男は気に入る。じつはすずには他に、幼馴染の思い人がいたのだったが、その男には自分の気持を言えないのだ。そこで別の男の嫁になったのだったが、その男は広い世界のなかからすずを見つけ出して、是非嫁に貰いたいといってくれたのだった。そんな男をすずは、次第に深く愛するようになる。

映画の見せ所は、やはり戦時下の厳しい環境だろう。鈴がとついだ呉は、軍港だったから米軍の空襲の標的となった。そんなわけで、義父はすずを空襲からかばおうとして重傷を負うし、すず自身も、面倒を見ていた小姑の娘を空襲で死なせてしまい、自分自身右手を失う。右手を失っていちばんつらかったのは、思うように絵が描けなくなったことだ。

小姑の娘を死なせたのは、時限爆弾に巻き込まれたためだ。米軍は、庶民を対象にして時限爆弾を落とし、庶民を爆発に巻き込んで、その殺傷を楽しんでいたらしい。米軍のこうしたサディスティックなやり方は、東京大空襲の際にも問題になり、米軍機に攻撃された日本人には、米兵が低空飛行で日本人を殺すのを楽しむ様子を目撃した者もいたという。

八月六日には、呉にいたために原爆の直撃はくらわなかった。それでも広島の上空に巨大なキノコ雲がかかり、すさまじい地響きがするのを感じた。すずは後に、生き残った妹から、母親が爆発のために跡形もなく消え去り、父親も原爆症で死んだと聞かされる。

すずにとって唯一の救いは、夫が戦後まで生き残ったことだった。夫は軍属として呉あたりの軍需工場で働いているらしく、そのうち兵士として徴用されるのだが、なんとか無事に生き残るのである。

すずは家族と一緒に八月十五日の玉音放送を聞き、敗戦を知る。そのさいに複雑な反応をする。終戦を喜ぶでもなく、敗戦を悲しむでもない。いままで巨大な犠牲を払って戦争をしてきたことの意味が、自分なりに整理できないもどかしさのようなものが、彼女を激昂させるというふうに伝わって来る。

すずと夫は、焼け跡のなかで一人の少女と出会う。その少女は母親を失って孤児になっていた。そんな少女を、彼女らは家に連れて帰るのである。




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