壺齋散人の 映画探検
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河瀬直美「朝が来る」:特別養子縁組をテーマ



河瀬直美の2020年の映画「朝が来る」は、特別養子縁組を通じてさずかった子どもを大事に育てる夫婦の物語と、その子どもを産んだ母親の物語を交差させながら描いた作品。色々と考えさせるところの多い映画である。だが、見方によっては、受け取り方に違いが出てくるタイプの作品だ。それだけ、含蓄に富んでいるともいえる。

夫の無精子症で子どもができないことが分かった夫婦が、民間人の運営する養子縁組団体から一人の生まれたばかりの子どもを、養子として受入れ、育てることになる。その団体は独自の理念として、生んだ親の名を子どもに告知することを義務付け、また、夫婦のうちどちらかが家事に専念出来る環境でなければならないとする。中には、三世帯家族で、親に子どもの面倒を見てもらえるから、共稼ぎを認めてもらえないかと希望する夫婦もいるが、そういう例外は認めない。こうしたシステム上の理念の是非については、それはそれで議論があるだろう。

一方、その子を産んだ母親の生き方も丁寧に描かれる。この映画は、現在進行形の中に過去の出来事をフラシュバック風に差し挟むという形で展開するのであるが、その過去の場面の大部分は、子どもを産んだ母親を描くことに費やされるのである。その母親は十三歳の時に、つまり中学一年生の時に、男の子と付き合って妊娠してしまう。セックスへの興味はあっても、その意味については、ほとんど分かっていなかったのだ。そんな子どもの妊娠を両親は受け容れられない。これは事故だくらいに考えている。できれば堕胎させたいが、すでの堕胎の可能な時期が過ぎている。そこで特別な養子縁組制度のあることを知って、それをつうじて望まぬ子どもの始末をつけようとするのである。

だが、母親は、幼いなりに、子どもに対して責任を感じている。とりあえずは、親の言うとおりにして子どもを養子に出すのだが、そのことをなかなか忘れることができないでいる。そこで両親の家を飛び出して、新聞配達のアルバイトをしながら自立しようとする。だが、出産後六年たった時点で、養親に連絡し、子どもを返してほしいと申し入れる。そこから、養親と実の母親との葛藤が始まり、いったんは、養親が実の親を拒絶するのであるが、しかし、そんな自分の態度の傲慢さを反省した養親が、実の母親に謝罪する、というような内容である。

養子縁組制度をテーマにしているところが、河瀬らしいこだわりだろう。河瀬には、ハンセン病患者への差別をテーマにした「あん」とか、障害のハンデを持った人間の生き方を描いた「光」といった作品があり、問題を抱えた人々の生き方に視線を向けようとする姿勢が感じられる。この「朝が来る」も、養子縁組制度をとりあげながら、子どもを手放さねばならなかった女性のほうにより同情している。そういう同情は、この映画の中の養子縁組団体の理念にも反映されている。生んだ母親により強く寄り添うような理念なのだ。

少年少女の間のセックスということでは、河瀬は「二つ目の窓」でもとりあげている。そこでは、少女のほうが積極的に描かれていたが、この映画でも、十三歳の女子中学生がイニシャティヴをとっているように伝わってくる。

養親役の永作博美の縁起も見どころがある。彼女は、「酔いが醒めたらうちに帰ろう」とか「八月の蝉」といった映画の中で、子どもを連れた女を演じたものだったが、この映画の中でも子どもを連れた女として出てくる。永作には、子どもをつれた姿が似合うようだ。



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