壺齋散人の 映画探検
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野村芳太郎「張込み」:松本清張の小説を映画化



野村芳太郎は多作な作家で、いろいろなジャンルの映画を作っているが、最も得意なのはサスペンス・タッチの映画だった。野村は推理小説のマニアだったといわれ、なかでも松本清張の作品が好きだった。その清張の作品をいくつか映画化している。1958年の作品「張込み」は、その最初のものだ。

警察による犯人追求劇で、この手のものとしては、劇的な展開も乏しく、どちらかというと平板なストーリーなのだが、それでいて見ているものを飽きさせない。追う立場の刑事たちの心理的な流れを自然に描いており、そこが心理劇としてのサスペンス映画の醍醐味を味わせてくれるからだろうと思う。

主人公は二人の刑事。その二人(大木実と宮口精二)が、東京深川で起きた強盗殺人事件をめぐって、犯人捜査のための張込みをするというのがこの映画の基本プロットだ。張込み先は九州の佐賀に住んでいるある女の家だ。この女(高峰秀子)は、犯人(田村高広)の若い頃の恋人だった女だ。いまは二十歳も年上で、三人の子持ち男の後妻になっている。その女のもとを犯人が訪ねるだろうというのは、刑事たちの直感だ。その直感だけをたよりに、二人の刑事は、上司や同僚たちの懐疑を尻目に佐賀までやってくる。

女の家の目の前にある旅館の一室を借りた二人は、二階にあるその部屋から女の動向を見守る。そんな二人の目に映った女のつつましやかな暮らしぶりが、この映画にささやかな色を添えているが、それは映画を彩るようなオーラには欠けている。かえって若い方の刑事の同情を引くくらいに地味で屈託に満ちた毎日だった。

刑事たちはそれこそ、目が女に吸い取られたように、女の一挙守一投足に密着し、女のもとに犯人が現れるのを待ち続ける。しかし出張予定の七日の間に犯人は姿を見せない。二人はあきらめて東京へ戻る決意をするが、その時に男が女に連絡を取ってくる。そして女は男とともに、バスに乗って遠出する。

その二人を、刑事たちが追いかける。その途上、若いほうの刑事が、男と女の密会の場面を目撃し、彼らの会話を通して、その切ない運命を垣間見たりする。結局男は刑事たちによって逮捕され、女はひとり取り残される。女は久しぶりに昔の男に逢って、余生を男に捧げるつもりでいたところを、ひとり取り残されて泣き崩れるのである。

というわけで、犯人の男とその女にまつわる話は、できそこないのメロドラマのようなのだが、二人の刑事が犯人を求めて女の動向に食い下がるところは、なかなか見所がある。その女を演じた高峰秀子は、役違いなものを演じさせられているようで、いまひとつ迫力がない。彼女には、男に取り残されて泣き崩れるようなひ弱い女のイメージは似合わない。

映画のなかで、佐賀の町のたたずまいが、情緒豊かに映し出されていた。掘り割りを囲んで古い木造の家が建ち並ぶところなどは、なかなか深い情緒を感じさせる。その佐賀の町まで、二人の刑事は東京発の急行列車鹿児島行きにのり、まる二日かかってたどりついたということになっている。ものの本で調べてみると、この列車は1956年に運行開始した夜間急行「さつま」で、東京を夜間出発し、二晩かけて佐賀まで走ったということだ。その「さつま」を舞台にしたこの映画には、鉄道マニアだった清張の、趣味も盛り込まれているのだろう。



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