壺齋散人の 映画探検
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野村芳太郎「拝啓天皇陛下様」:戦友同士の熱い友情



日本映画は、諸外国に比べると戦争をテーマにするのが好きだったと言える。戦争の取り上げ方にはいくつかのパターンがあって、日本兵の勇敢さをたたえるものとか、軍隊生活の厳しさを強調するものが多かったが、それらと並んで戦友同士の熱い友情も好んで取り上がられた。野村芳太郎の1963年公開の映画「拝啓天皇陛下様」は、その代表的なものだろう。これは結構人気が出て、続編が出たほどだ。渥美清のとぼけた演技が、観客に受けたからだと言われる。

たまたま兵営で一緒になった作家志望の男と無学文盲の田舎者との友情がテーマだ。その友情は、彼らの生涯を通じてかわらず、軍隊内部でも、除隊後の生活においても、二人は影に日に助け合う。そのあげく渥美清演じる無学文盲の田舎者が、東京千住大橋のたもとでトラックにひかれて死んでしまうという結末だ。なぜトラックにひかれなくてはならなかったか、そのへんの必然性は見当たらぬので、これは原作者のこだわりに出たことなのだろう。

その無学文盲の田舎者を渥美清が演じている。その相棒の作家志望の男は長門裕之が演じていて、長門のほうが主演という位置づけだが、スクリーンのなかの存在感は、渥美のほうが圧倒的に大きい。というより、この映画は、渥美の演技で成り立っていると言ってもよい。筋書きをはじめ、映画としての工夫は、退屈と言ってもよい。だから渥美のかわりに凡庸な俳優が演じたら、見られないものになっただろう。

渥美清演じる田舎者は、字もろくに読めないということになっている。その男になぜか中隊長(加藤嘉)が同情して、学のある部下を渥美に付け、字の勉強をさせてやる。その甲斐があって、田舎者の渥美は字の読み書きができるようになる。そこで彼は自分の実力を試す意味でも、天皇陛下に手紙を書く決意をする。彼には手紙を書くべき家族が一人もいないのだ。ところが、作家志望のほうがそれを押しとどめる。天皇に直接手紙を書くのは、天皇に対する不敬罪に該当するから、そんなことをしたら、ひどい目にあわされるというのである。

しかし無学文盲は、天皇陛下に不敬を働くつもりで手紙を書こうとしたわけではない。むしろ彼は、天皇陛下を敬愛してやまないのである。兵隊のなかには、形の上では天皇陛下に敬意を表してはいても、心のなかでは馬鹿馬鹿しいと思っているものが大勢いる。しかし彼は、心の底から天皇陛下を敬愛しているのだ。というのも彼は、国民は天皇陛下の赤子であるという言葉を、心から信じているからだ。子が親を慕うのは自然の感情ではないか。

そんなわけだから、この男が図らずもトラックにひかれて死んださいに、「拝啓天皇陛下様 あなたの最後のひとりの赤子がこの夜戦死をいたしました」という字幕が流されるのである。

というわけでこの映画は、天皇制にちょっぴりわさびを利かせたあてこすりをしながら、コメディタッチで進んでゆく。そのタッチがときに緩んで、だらけがちになるのではあるが、そこは渥美清というユニークな俳優の持つ独特の雰囲気が盛り上げていて、おつりがくるほどである。「男がつらいよ」シリーズが始まるのは1969年のことで、この映画が作られた1963年には、渥美潔はまだ駆け出しだったのだが、すでに独特の風格を漂わせている。



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