壺齋散人の 映画探検
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日本のポルノ映画


日本でポルノ映画という言葉が使われるのは1970年代以降のことで、それ以前には成人映画とかピンク映画とか言われていた。その時代の性道徳はいまよりずっと偽善的なものだったので、性描写も慎ましいものだった。だからポルノを期待して見ると、がっかりさせられるものが多い。

ピンク映画の鬼才としては若松孝二があげられる。若松は「壁の中の秘事」といった、時代環境を色濃く反映したポルノ映画を作った。彼は21世紀にはいると、「キャタピラー」とか「千年の愉楽」といった文芸作品も作り、高い評価を受けた。日本のポルノ映画作家には、若松のように文芸映画の傑作を手掛けたものも少なからずいる。

ポルノという言葉を日本の映画が使い出したのは東映で、すでに1960年代の後半に「ポルノ女優」という言葉も流通していたが、本格的にポルノ映画が量産されるのは、70年代に入って日活が「日活ロマンポルノ」をキャッチフレーズにしてからだ。日活ロマンポルノの代表的な監督としては、神代辰巳や藤田敏八があげられる。

ロマンポルノは、その名から連想されるように、単にセックス描写に専念するばかりでなく、ストーリー性も重んじた。しっかりしたストーリーを背景にして、主人公の男女が濃密なセックスシーンを演じると言うのが、日活ロマンポルノの醍醐味である。

80年代以降になると、ビデオカメラを用いて手軽に作られたポルノ映画が現われる。それらは従来の本格的なポルノ映画に対比して、アダルト映画と呼ばれた。アダルト映画は、セックス描写に大胆に踏み込み、いわゆる本番を売り物にする傾向が強かった。こうしたアダルト化の流れは、21世紀に入って加速し、大量のアダルトビデオが巷にあふれるようになる。このことについて、日本人の道徳意識の退廃を嘆く見方がある一方、セックスを消費の対象とすることに新しい時代感覚を認める意見もある。

ここでは、60年代から70年代にかけての、日本のポルノ映画の代表的な作品を選んで鑑賞したい。


壁の中の秘事:若松孝二のピンク映画

胎児が密猟する時:若松孝二のサド・ピンク映画

エロス+虐殺:吉田喜重

四畳半襖の裏張りしのび肌:神代辰巳の日活ロマンポルノ

恋人たちは濡れた:神代辰巳のロマンポルノ

エロスは甘き香り:藤田敏八のロマンポルノ


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