壺齋散人の 映画探検
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四畳半襖の裏張りしのび肌:神代辰巳の日活ロマンポルノ



日活は1970年代から80年代にかけて、ロマンポルノと称される一連のポルノ映画を制作した。ポルノとはいえ、今日のアダルト映画とは異なり、芸術性を感じさせる作品もあった。神代辰美は日活ポルノを代表する監督である。その神代が作った作品で、しかも日活ポルノの代表作といわれるのが「四畳半襖の裏張りしのび肌」である。題名からして荷風散人の手慰み「四畳半襖の下張り」を思い出させ、実際筆者などはてっきりその映画化だと思い込んで見た次第だったが、内容は荷風散人の「四畳半」とは全く無関係だった。

内容的には西鶴の「好色一代男」に近い。好色な男が女を手玉にとって、次々と平等に楽しませてやるところを描いている。女だけではなく男まで楽しませてやるところが一代男世之介に似ている。いわば今様世之介の好色日記ともいうべき作品だ。

今様といっても、時代は関東大震災の頃から日中戦争の頃までのことだ。ある芸者が旦那に捨てられた腹いせに、ライバルで旦那の子を生んだ女から、その子を誘拐する。それがあたかも大震災のあった当日のことだ。命の助かった女は、芸者置屋を営みながら盗んだ子を自分の子として育てる。その子こそが、今の時代に生き返った世之介というわけである。

世之介ならぬ正太郎は、置屋にいる芸者たちを次々と楽しませる。まだ子供ながら性戯には達者で、女たちはあらそって正太郎とのセックスを求める。正太郎は芸者たちを喜ばせるばかりでなく、自分が一時預けられた活動写真の夫婦も楽しませる。亭主と女房と二人ながら楽しませるのだ。しかも亭主と女房を自分の両脇に寝かせ、かわるがわるいかせてやるのである。

正太郎の活躍範囲は次第に広がり、色々なところに出かけては女を喜ばせるのだが、そのうち喜ばせついでに自分の育ての母まで喜ばせてやる。育ての母は、我が子ながらも男ひでりを慰めてくれる息子をかわいがるのである。

こんなわけでこの映画は、世の中の常識を男根の先でせせら笑うような痛快さで満ちている。人間帰するところ男女の性交から成り立っているという深遠な真実を痛快な快楽を通じて確認しているといった具合だ。

今様世之介たる正太郎は、よほど人を喜ばすのが好きだと見え、大人になったら幇間になろうと思って、幇間の師匠に弟子入りして稽古をする。その稽古に合せて正太郎の歌う歌というのが、昔お座敷を賑わした愉快な歌の数々というわけで、この映画はその道の遊び人が見ても鑑賞に耐える工夫がなされている。

育ての母が正太郎から仕掛けられたときに言う台詞が面白い。そんなに甘えたいのかい、と言うのだ。そこで母ながら息子に甘えさせてやるというわけだが、その甘えというのが、母親の自分を十分に楽しませてくれるものなのだ。いくら義理の母子とはいえ、育ててやった息子からセックスの贈り物を期待するのは不道徳というものだろう。


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