壺齋散人の 映画探検
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空気人形:是枝裕和




題名の空気人形とはダッチワイフのことである。ダッチワイフというのは、男の性欲処理の為に作られた人形で、空気で膨らませてあり、股間の陰部に男根を挿入して疑似セックスができるような仕掛けになっている。長期間単身生活を強いられる男性には有効な働きを果たすといわれ、南極探検隊にも同行されるというすぐれものである。

その空気人形がこの映画の主人公である。ただし空気人形そのものとしてではない。人間としてである。空気人形がひょんなことから人間の心をもってしまい、外見も人間の女と変わらないものになる。そんな空気人形が、人間として経験する様々な出来事を、この映画は描いているわけだ。

我々本物の人間は、人間として生きることは素晴らしいことだと、普通は思っている。ところが人間になったこの空気人形には、人間として生きることがそんなにすばらしいとは思われない。かえっていやなことの多い、しんどいことがらだと思える。その思いを彼女は、「人間の心を持つことは、切ないことでした」と表現する。

映画は、そんな彼女の切ない体験を淡々と描いてゆく。彼女が一番切なかったのは、自分が性欲処理の代用品として作られた安物のおもちゃであって、そんな自分を人間たちはまともな存在として認めてくれなかったことだ。そこには、人間の女として生きること自体にも、切なさが付きまとっていると、映画からは伝わって来る。なにしろ、人間の男たちが女に期待するのは性欲処理であって、その点ではダッチワイフも本物の女もかわりはない。そこにこの空気人形は、人間の女として生きることに切なさを感じたのであろう。でなければ、つまり人間の女として生きることに別の喜びがあったならば、切ないばかりとは受け取らなかっただろう。

彼女は自分が性欲処理のために作られたことを知っているから、男のセックスの相手をすること自体いとわしいとは思わない。中年のおやじからセックスを求められると自分を惜しまず相手をする。しかし、男が自分をセックス処理の手段としか見てくれないことには、耐えられないものを感じる。そこに彼女にとっての切なさがあるわけだ。

そんなわけでこの映画は、ダッチワイフに心を持たせることで、人間の女として生きることが、現実の世界において生きる上でどのような意味を持つかについて、逆説的な形で示しているのだと思えなくもない。そういう点では、この映画にも、是枝裕和の社会的な視点は健在だと言える。

恋人になった男が、セックスの最中に人形である彼女から空気を抜いたり入れたりする場面が出て来て、そこに独特のエロティシズムを感じさせるようになっている。彼女もまた、男から空気を抜こうとして腹に大きな穴をあける。そのために男は死んでしまい、彼女は男の死体をポリ袋に入れてごみ集積場に運んで行くのだ。もっともその場面は、彼女の空想の中の出来事だったと、後にアナウンスされる。その彼女自身は、粗大ごみとなって集積所に横たわるハメになるのだ。

空気人形の女を演じた韓国人女優ペ・ドゥナがなかなかよい。表情が人形のようだし、しぐさもファンタスティックなところを感じさせる。大きい目が実に表情豊かだ。




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